春の別れ






まだ浅い春の日曜日。
その日、終日休みの予定だった瞬が、急遽 病院に行くことになったのは、平日であれば外来受付が始まる時刻に 突然、出勤要請の電話がかかってきたからだった。
光が丘公園の近所――ということは、光が丘病院の近所でもある――で、大きな交通事故が起きて 人手が足りていないので、すぐに応援に来てほしいという。

練馬区内の複数の保育所や幼稚園が合同で行なった歩育イベント。
幼児(と その保護者)たちが 野外を歩くことで、幼児の体力を養い、外界と接触して 五感を刺激することで脳の発育を促し、親子で触れ合い、また 他者と触れ合うことで、人とのコミュニケーションを図ることのできる子供を育てる。
それが その歩育イベントの趣旨だったらしい。
交通ルールを覚えることも イベントの目的の一つだったので、40人の幼児を中心とした 100人ほどの その集団は、公園の中ではなく公園の外の道――つまりは公道――を歩いていたのだそうだった。

その列に、蛇行しながら走ってきたワゴン車が 他の車を巻き込みながら 突っ込んできた。
なにしろ、よちよち歩きの40人の幼児と、その保護者、イベントスタッフ、総勢100人前後の列に、玉突き現象を起こしたワゴン車と乗用車3台の計4台が、ビリヤードのカラーボールよろしく、それぞれの角度とスピードで それぞれの場所に 突っ込んでいったのである。
40人の子供たちがパニックを起こして 一斉に泣き叫び出しただけでも、大変な騒ぎになった。

幸い、車の直撃を受けた者はおらず、外科医の手当てが必要なほどの怪我を負ったのは、子供を庇おうとして倒れたり、信号機にぶつかって破損した車の部品が頭や腕に当たった大人たちが十人ばかり。
子供たちは転んで擦過傷を作ったくらいのものだったが、人数が人数だったので、人手が足りなくなり、光が丘在住で すぐに病院に駆けつけられる瞬に お呼びがかかったのである。
命に関わるほどの重傷者は一人もおらず、入院が必要なのは(それも、大事をとって)二人だけ。
瞬は、ほとんど 子供たちの世話――PTSD予防――のために呼ばれたようなものだった。
(もちろん、子供たちの心に恐怖や不安を残さないようにケアすることは重要かつ必要な手当てである)

ともあれ。
最初に一報を受けた時はどうなるかと思ったが、事故に巻き込まれた人数の多さを思えば、奇跡的といっていいほどの小事で済んだ。
帰りは夜になるだろうと思っていたのに、昼下がりといえる時刻に帰宅できることになったのだから、本当によかった。
これなら、今日は予定通り、ナターシャと氷河と 桜餅作りに挑戦できるかもしれない。
そんなことを考えながら、瞬は家路を急いでいたのである。


光が丘公園の梅林の梅は花を咲かせているが、桜並木の桜の木は まだ芽吹きの気配もない。
あと3週間も経つと 花見客でごった返す桜並木に、今日は人影は数えるほどしかなかった。
その桜並木を抜け、子供たちの喚声で溢れている ちびっこ広場の脇を通って、公園を出るために道を曲がろうとしたところで、
「瞬」
瞬は、彼に呼び止められたのである。

声だけで、それが誰なのかはわかった。
だから 瞬は、彼の方に視線を巡らせることに、少々 気の重さを覚えたのである。
春が始まった日曜の昼下がりの公園。甲高い子供たちの歓声に沸く ちびっこ広場の すぐ横。
瞬の名を呼んだのは、その場に 全く そぐわない姿を持った男だった。
あまりの不釣り合いに、意図せず、深い溜め息が漏れてしまう。

「ナターシャちゃんを連れずに 一人で立っていたら、氷河も、親子連れがあふれている週末の公園には 全く そぐわない姿をしていると思いますけど、あなたほどじゃない」
『こんにちは』も言わずに、そんな挨拶(?)を口にしてしまったのは、瞬が不作法な人間だからではない。
瞬は、アテナの聖闘士の中では、間違いなく 最も礼儀正しい人間で、一般人の中に入っても、その評価が覆ることのない人間だった。
無論、悪気もない。
甚だしい違和感に襲われて、瞬は ついうっかり――ごく自然に――その違和感を、『こんにちは』より先に言葉にしてしまっただけだった。

「どこなら不釣り合いでないと言うんだ」
特に機嫌が良いようでもなかったが、瞬の不作法のせいで機嫌を損ねたふうでもなく、抑揚のない声で、彼は瞬に問うてきた。
問われたことに関して、瞬は律義に考えてみたのである。
彼に似合いそうな場所を幾つか思い浮かべることをした。
金色のベルサイユ宮殿、テレジアン・イエローのシェーンブルン宮殿、黄色、ピンク、赤茶色と幾度も外壁を塗り替えたというエルミタージュ宮殿。
それらの豪奢な宮殿を幾つか 通り抜け、瞬の考えは最終的に、
「やはり、双魚宮の薔薇園の中でしょうか」
に落ち着いた。

今日もアフロディーテは、ユニセックスという表現だけでは片付けられない服を着ている。
中身も外見も、日曜日の昼下がりの公園向きではないのだ、彼は。
しいて、彼にふさわしい場所を日本国内に求めるなら、夜の銀座。
やはり溜め息しか出ない。
溜め息混じりに、瞬は、アフロディーテに、
「何か ご用ですか」
と尋ねた。
アフロディーテが、
「用がなければ来てはいけないのか」
という、答えになっていない答えを返してくる。

「そういうわけではありませんが、あなたは用もないのに、わざわざ こんなところまで出掛けていらっしゃる方ではないでしょう」
「君の言う通りだが、そう露骨に迷惑そうな顔をしなくてもいいではないか」
「そう見えました?」

アフロディーテのその言葉に、瞬は少なからず驚いた。
瞬は、全く そんなつもりはなかったのだ。
そんなつもりはなかったので、なぜそんな印象を持たれたのかを、瞬は考えた。

「あなたといると嫌でも目立ってしまうから、それが嫌なのかもしれません」
「そうではあるまい。君は、君一人でも十分 目立つ。人目を引くことになど、君は慣れているだろう」
「……」
アフロディーテに、『君も目立つ』と言われることの いたたまれなさ、気まずさ。
瞬は我知らず視線を脇に逸らしてしまっていた。

「あなたの目立ち方は、悪目立ちというか……できれば 避けたい目立ち方なんです。ご用は何ですか?」
魚座の黄金聖闘士の目立ち方を、乙女座の黄金聖闘士は 全く好ましく思っていない。
その事実を、アフロディーテが どう受け止め、どう感じたかは、瞬にはわからなかった。
ただ、そんな目立ち方を避けたいと思う自分の気持ちが、アフロディーテには理解できないだろうと思い、その思いが 瞬の唇に また溜め息を生ませた。






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