真珠の色






「マーマ、オトコマエって、なあにー?」
ナターシャがパパではなくマーマに そう尋ねたのは、基本的に パパよりマーマの方が物知りで、説明も上手いから。
そして、“オトコマエ”という言葉が悪い意味を持つ言葉である可能性を考慮してのことだった。
幸い、その考慮は無用のものだったが。

「男前? そうだね。男前っていうのは、態度や行動が堂々としていて、頼り甲斐がある人のことを表わす言葉だよ。強くて優しい人――っていう意味でもあるかな。自分の得とか損とかを考えずに、弱い者のために力を貸してあげるような人のことをいうね」
「そっか、よかったー。悪いことじゃなくて、いいことなんだ」
マーマの説明を聞いて、ナターシャは一安心。
こんなことなら、昨夜一晩 悩む前に、さっさとマーマに訊いて確かめてしまえばよかったと、ナターシャは自身の杞憂を後悔したのである。
“男前”というのは“女の後ろ”ということで、よくない意味の言葉なのではないかと、ナターシャは案じていたのだ。
ナターシャのパパは無口で不愛想で、ナターシャのマーマとナターシャ以外の人には滅多に笑顔を見せず、そのせいで よその人に誤解されやすいから。

ナターシャが、“男前”は“女の後ろ”という意味だと思っていたことを マーマに告げると、マーマは愉快そうに笑って、ナターシャの頭の上で ぽんぽんと二度ほど軽く手を弾ませた。
「ナターシャちゃんは、いつも 楽しいことを思いつくね。“男前”には、もともとは歌舞伎で使う言葉だったっていう説があるんだよ」
「ナターシャ、歌舞伎、知ってるヨ。宝塚の反対ダヨ。女の人だけでやるのが宝塚で、男の人だけでやるのが歌舞伎。カンクローおじちゃんの、『知らざあ、言ってきかせやしょう』ダヨ」
ナターシャは、日本の伝統文化を子供向けにアレンジして紹介する幼児番組“にほんごであそぼんぼん”のファンである。
だから、歌舞伎も狂言も浄瑠璃も百人一首も知っていた。
あくまで、子供向けにアレンジした形のものを、ではあったが。

「歌舞伎を知ってるなんて、ナターシャちゃん、すごい」
マーマはナターシャを褒め、それから、歌舞伎由来の“男前”という言葉を 更に詳しく、その成り立ちからナターシャに説明してくれた。
「ナターシャちゃんが知ってる、その歌舞伎で、“前”っていうのは、動きのことなんだ。歌舞伎では、動く人は舞台の前の方に出るからね。だから、男前っていうのは、もともとは 舞台での姿勢や動きが美しい人っていう意味だったんだよ。それが だんだん、舞台の外でも、振舞いが立派だっていう意味で使われるようになったんだ。でも、男前がどうしたの?」

今度は マーマが質問して、ナターシャが答える番。
“男前”が悪い意味の言葉でないことがわかったナターシャは、安心して―― 大いに張り切って、自分が“男前”の意味を確認しなければならなくなった訳を、マーマに語り始めたのである。
より正確に言うなら、光が丘公園での花見帰りに仲間の家に立ち寄っていた(花見の方が “ついで”だったかもしれない)星矢と紫龍に、昨日 ナターシャとパパが行なった善行の報告を始めたのだった。


「あのね。昨日、ナターシャとパパが公園から帰る時にね、ティッシュの箱を 右手と左手に10個ずつ持ったおばあちゃんが公園の前の横断歩道を渡ってるのを見たんダヨ。そのおばあちゃん、横断歩道を渡ってる途中で転んじゃった。おばあちゃんは転んじゃって、転んだまま ずっと 起き上がらなかったんダヨ。緑の信号が ぴかぴかし始めても、ずっと転んだままなの。ナターシャ、びっくりしちゃったヨ。でも、パパがすぐに走っていって、おばあちゃんを抱っこして、ティッシュの箱ごと、横断歩道の向こう側に運んであげたの。ナターシャも、一つ持ってあげたヨ」

ナターシャは、そのおばあちゃんを以前から知っていた。
話をしたことはないし、名前も知らないのだが、公園の中や外で時々 見掛けたことのある おばあちゃんだった。
歩くスピードが とても遅いので、見掛けるたび気になり、印象に残り、いつのまにか覚えてしまったのだ。






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