「絶対音感? 何だ、それは。絶対零度なら知っているが」 フランツ・リストをも超える超絶技巧派ピアニスト。 光速で動く指の持ち主。 ステージで、彼の周囲の時間は止まる。 ――等々の枕詞を持つ“氷河”が そう言った。 これによって、絶対音感を持たない世界中のピアニスト志願者たちは 大いに勇気づけられることになるだろう――という記事が、某音楽雑誌と そのWEB版に掲載されたのは、2年前の冬のことだった。 『では、ピアニストになるには、何が必要なのでしょう』とインタビュアーに問われると、氷河は、実に億劫そうに、 「指」 と答えたらしい。 氷河以外のピアニストが言ったのであれば、嘲笑されて終わりのセリフも、氷河ほどの技巧派が言うと 名言金言になるのだ――という文で、記事は締めくくられていた。 氷河は、日本とロシアのハーフ。 母親には そう言われていたらしい。 その母親は 彼が幼い頃に亡くなり、父親の顔は最初から知らない。 小学校にも入学していない歳の頃から、彼は生きるために、ノヴォシビルスクの町のレストランで働いていた。 耳で聞き覚えたチャイコフスキーやムソルグスキーを、習ってもいないピアノで弾くという“芸”を見せて。 たまたまロシアに旅行に来ていたフランス人ピアニストに その才能を見い出され、“音と鍵盤の魔術師”と異名をとっていた彼に師事。 音と鍵盤の魔術師の目は確かだったのだろう。 やがて、氷河は、師をもしのぐほどの技巧派ピアニストに育った。 師に出会うまで、氷河は、楽譜の読み方も知らず、どれほどの難曲も長い曲も、いわゆる“耳コピ―”で完璧に弾きこなしていたという。 リストの超絶技巧練習曲『ラ・カンパネラ』や『鬼火』、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、ラヴェルの『夜のガスパール』、ラフマニノフの『大カデンツァ』。 超絶技巧を必要とする どんな難曲も、氷河にかかれば難曲ではなくなる。 彼は、それらの難曲を いともたやすく弾きこなすのだ。 どんな難曲も、無表情で、危なげなく、“必死感”なしに。 氷のような美貌で、人気もある。 CDや楽曲だけのデータダウンロードより、DVDや動画ダウンロードの売り上げの方が良好なのは、彼の演奏は 曲より その顔と指に価値があるからだと、★5つで語られる、奇異で稀有なピアニスト。 難曲ばかりのコンサートやリサイタル。過去に出場したことのあるコンクールでの選曲も難曲ばかり。 彼がミスタッチする場面に出会ったことのある人間は一人もいない。 彼は、そういう伝説の持ち主だった。 「絶対音感ですか? 僕にはないと思います。雨音が不協和音に聞こえて苦労したことはありません。雨音は、いつも 大地を潤す恵みの優しい音に聞こえます」 この地上世界に初めて生まれた抒情派本格ピアニスト。 癒しの指の持ち主。 彼はコンサート会場を、至福の園エリシオンに変える。 ――等々の枕詞を持つ“瞬”は そう言った。 これによって、絶対音感を持たない世界中のピアニスト志願者たちは 大いに勇気づけられることになるだろう――という記事が、某音楽雑誌と そのWEB版に掲載されたのは、2年前の春のことだった。 『では、ピアニストになるには、何が必要なのでしょう』とインタビュアーに問われると、瞬は、 「愛」 と答えたらしい。 瞬以外のピアニストが言ったのであれば、嘲笑されて終わりのセリフも、瞬のように 音楽を美しい愛に昇華する術を持つ演奏家が言うと 名言金言になるのだ――という文で、記事は締めくくられていた。 瞬が国際コンクールに出場し始めた頃、彼は 各種書類に 国籍を日本と記していたのだが、誰も それを信じなかった。 あるいは、それを、出生地が日本だったために与えられた国籍なのだろうと思っていた。 瞬は、そういう逸話の持ち主。つまり、日本人離れした容姿の持ち主なのだった。 両親は、彼が生まれて間もなく亡くなったらしい。 当然、瞬自身も両親の顔を知らない。 瞬は日本人ではないのではないか(少なくとも、生粋の日本人ではないだろう)という説が有力なのは、世界中のどこの国よりもピアノ教室が乱立している日本に在住しているにもかかわらず、彼のピアノの師が日本人でないことも関係しているかもしれない。 瞬が児童養護施設にいた頃、施設の子供たちにボランティアでピアノを教えていた南米某国からの難民。 瞬の師は、祖国の内乱によってピアニストになる夢を断念せざるを得なかった不幸なピアノ弾きだった。 しかし、彼は日本に来て、世界で最も幸福なピアノ指導者になることができた。 自分の弟子が、僅か16歳で、ショパン国際コンクールで優勝するという快挙を成し遂げたのだ。 不運なピアノ弾きは 幸福なピアノ指導者になり、今ではG大を始めとする複数の大学で 音楽心理学の講義を持ち、複数大学から客員教授の肩書を贈られている著名人だった。 彼自身は音大に通えるような恵まれた家庭に育った学生たちより、豊かとは言い難い環境で生きている子供たちに 音楽の楽しみを教えることの方が好きなようだったが。 瞬は、初めてピアノに触れた3歳の頃から ずっと、施設の子供たちを元気づけるために(時には、騒ぎや喧嘩を静めるために)ピアノを弾いていた。 子供たちのためのピアノだったので、童謡や唱歌、アニメソングを弾くことが多く、クラシックを弾くようになったのは 中学生になってから。 『音楽は、音を楽しみ、人の生を幸せなものにするための恵みである』という主義の瞬の師も、そんな瞬に何も言わずにいたらしい。 ピアノを弾く動機がそれなので、明るい曲や子供のための楽曲を好む。 ショパン、ドビュッシー、シューマン。そして、童謡、唱歌。 瞬が 癒し系 抒情派本格ピアニストと評されるようになったのは、国際コンクールでの優勝が続き、出身施設でテレビのインタビューを受けた際のエピソードがきっかけだった。 インタビューの最中に 泣き出した幼児を、瞬が バダジェフスカの『乙女の祈り』の演奏で泣きやませ 笑わせる映像がテレビで放映されたのだ。 その後、瞬の『トロイメライ』で赤ん坊が泣きやんだ、瞬の『愛の夢』で 子供たちが喧嘩をやめた等の報告が続出。 瞬の演奏は、人の耳より心を直撃。瞬は、『ねこふんじゃった』で聴衆を泣かせることもできると、こちらは実際にそんなことをしたのかどうかは定かではないが、まことしやかに流布されるようになった噂である。 瞬は、どんな曲も微笑みながら弾く。 悲しい曲も、激しい曲も、穏やかに微笑んで演奏する。 花のような美貌で、人気もある。 その人気は、老若男女 満遍なく偏りはないのだが、ネットを使えない幼い子供たちや老人たちには特に絶大な人気を誇り、CD等の物販では 常に国内トップの売り上げを誇っていた。 泣いている赤ん坊を泣きやませるには、瞬のピアノ。 喧嘩している友だちや恋人と仲直りするには、瞬のピアノ。 瞬は、感動の天才。愛と美のピアニスト。魂のピアニスト。 彼が怒ったり、機嫌を悪くしているところを、誰も見たことがない。 瞬は、そういう逸話の持ち主だった。 |