それでも、眠りに入って一時間もしないうちに絵梨衣の目が覚めたのは、堅すぎる大地のベッドのせいだった。
 寝ぼけた目で焚き火の方を見やると、そこには氷河の姿も瞬の姿もない。途端に、絵梨衣は、恐怖のためにはっきり覚醒した。
(わっ…私、あんまり馬鹿だから見捨てられたっ!?)
 勢いをつけて身体を起こした絵梨衣の視界に、氷河と瞬の姿が飛び込んでくる。二人は火の側を離れ、ミルクティーの海の波打ち際に場所を移動していただけだった。
 火に背を向けていたために、彼らは絵梨衣が目覚めたことに気付かなかったらしい。
 瞬が砂浜に座り込み、そのすぐ横に氷河が立っている。
 絵梨衣は安堵の息を洩らし、再び、今度は注意して静かに、身体を横にした。

「僕、怖い…」
 瞬の小さな呟きが聞こえてくる。
「怖い……。こんなの、訳がわかんない。ここ、どこ? ほんとに異世界? どうしてなの? 僕たち、半日前まで普通に暮らしてたんだよ? それとも、やっぱりこれは夢? 夢なら、どうして知らない女の子が一緒にいるの……」
「瞬…」
「砂漠にオアシスならわかる。けど、こんな森、変だ。森と砂漠の境界で、ここまではっきり気圧が違う。ありえない、こんな世界」
「ああ」
「絵梨衣さんがいるから、平気な振りしなきゃって思って、なんとか気を張ってられるけど、僕、もう保たない。変なのは僕自身だけでたくさんだ!」
「瞬…!」
 責めるように、氷河が瞬の名を呼ぶ。瞬はびくりと肩を震わせた。

(変なの…って、何のこと…?)
 眠った振りをして聞き耳を立てていた絵梨衣の疑念に、当然のことながら、瞬も氷河も答えてはくれなかった。

「明日、ここを出よう。人工の建物があった。多分、人がいる」
「人がいたって、知らない人ばっかりだよ」
「それでも、だ」
 諭すように氷河に言われ、だが瞬はすぐには頷かなかった。もしかしたら泣いているのかもしれない――と、絵梨衣は思った。
 ややあってから、やっと瞬の返事が聞こえてくる。
「――うん」
 小さな声だったが、その返事を聞いて、絵梨衣は心を安んじた。
「ごめん。泣き言言って」
「こういうのも、たまにはいいさ。いつもの俺は、おまえに怒られてばっかりだからな。口が悪いだの、煙草は吸うなだの、女の子には優しくしろだの」
「ごめん。こんなじゃ、僕、氷河の負担になるばっかりだ」
 泣きそうな声、だった。一緒にいる見知らぬ女の子のために、瞬はこれまで精一杯気を張ってくれていたのかもしれない。絵梨衣は胸を突かれる思いがした。
「その代わり、あの女のお守【も】りはおまえの仕事だ」
「氷河の不安は誰が面倒をみるの」
「それも、おまえの仕事。俺はおまえの面倒で手一杯」
「僕、そんなに強くない」
「俺に限界がきてわめき始めたら、喝を入れてくれりゃいいのさ。この馬鹿、もっと根性入れろ! ってな」
 そして、おそらく、氷河の憎まれ口は、瞬の言っていた通り、瞬と絵梨衣のためのものだったに違いない。
 瞬は微かに笑った――ようだった。
「肩抱いて慰めてあげる。だから、その時はちょっと屈んでね」
「そりゃ、感動的だな」
 細く長い口笛を、氷河は異世界の砂漠に響かせた。
「そんときゃ、膝をついて、目一杯心細そうな目で、おまえを仰ぎ見ることにする」
「氷河にそんな真似ができるの?」
 瞬が、今度ははっきりした笑い声をあげる。
 突然投げ出された異世界より、この二人の関係の方がずっと不思議だと、絵梨衣は思った。
(それとも男同士って、みんなこうなのかな)
 ともかく、瞬が元気を取り戻してくれてよかった。絵梨衣は我知らず微笑んで、再び眠りに落ちていったのである。






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