それは氷河も同様だった。
 ムスタバルが何を企んでいるのかより、彼が瞬をどうするつもりなのかの方が案じられる。瞬と違うのは、氷河がそれを当然のことだと思い、罪悪感を感じもしないところだった。
 ムスタバルの部下に殴り倒されて気を失っていたのは、大して長い時間ではなかったのだが、少しばかり時間の感覚が狂っていた氷河は、ひどく長い間意識を失っていたような気がした。
 室内に瞬の姿はなく、部屋の入口にはムスタバルの部下が頑張っている。
 どうにかしてここを出て、瞬を捜しださなければならないと、氷河は思った。
(ったく、俺としたことが、後先考えず突っ走っちまって…)
 挙げ句に瞬を奪われていたのでは、目も当てられない。自分の勇み足は、かえって瞬をマズい立場に追い込むことになっただけだったかもしれないと、氷河は臍を噛んだ。
 見たところ、見張りは入口に二人。倒すことができない数でもない。
 氷河は室内を見渡した。が、さすがに武器になるようなものは見当たらない。
 仕方がないので、氷河は、寝台に掛かっていた麻のカバーを剥ぎとった。Gパンのポケットからライターを取り出し、カバーに火をつける。それから彼は、手近にあったグラスを床に落とした。
 グラスの割れる音を聞きつけて、見張りの一人が室内に入ってくる。氷河は、入ってきた見張りに頭から火のついたカバーを覆いかぶせた。
「うわぁぁ〜〜〜っっ!」
 見張りの男が、火のついたカバーを剥ぎ取ろうとして大声をあげる。ムスタバルの太腿丸出し親衛隊が声を発するのを聞いたのは、氷河はそれが初めてだった。
 同僚の声に異常を察知したもう一人の見張りが、室内に駆け込んでくる。待ってましたとばかり、氷河は二人目の見張りの頭に、葡萄酒の入ったデキャンタを叩きつけた。透き通った石英の――つまりは水晶の――デキャンタで側頭部を殴りつけられた男が、床に転がり倒れる。
 氷河はすかさず彼の手にしていた剣を奪い取り、火のついたカバーから脱出しかけていた男の脳天めがけて、その重い柄を振り降ろした。さすがに脳震盪を起こしたらしく、手足に火傷を負った男もその場に倒れ混む。
 ほっと息をつく間もなく、二人目の男が頭を抱えながら起きあがろうとするのに気付いて、氷河は、床に飛び散ったグラスの破片を手に取り、それを男の首筋に押しつけた。
「なにしろ、小学校卒業以来、取っ組み合いの喧嘩もしたことのない優等生をしてたもんで、力の加減がわからないんだ。まさか、さっきのショックで阿呆になんかなってないだろーな」
 グラスの破片が喉を掠り、男の首に一本の赤い線が走る。
「阿呆になる前に答えろ。ムスタバルは瞬をどこに連れて行った?」
「……」
 男は何も答えない。彼は、挑戦的な目をして氷河を睨みつけただけだった。
 氷河が、グラスの破片を掴んだ手に力を加える。破片は更に深く、男の首にのめり込んだ。
「脅迫に屈しろなんて言ってるわけじゃないんだぞ、俺は。ムスタバルに忠義を尽くすのも結構だが、ムスタバルとてめーの国のどっちが大事かってことぐらい、阿呆になっていないならわかるだろう。ムスタバルのやり方をマトモだと思っているのか、貴様」
 男が、口許を引きつらせる。彼はまだ阿呆にはなっていないらしかった。
「蛇ってのは、この国を豊かにしてくれた神様みたいなもんなんだろ? ムスタバルは、その蛇を恐喝して、自分が王になろうとしている。それで、この国が救われると思うか? 今の王が間抜けなのなら、王座から追い払えばいい。それは俺も止めん。だが、そのために瞬を――蛇の存在を悪用しようってやり方は、正道じゃない。多分、ろくなことにならないぞ」
「……」
 氷河に言われ、男は、音がするほど強く奥歯を噛みしめた。
 彼は氷河の言うことを理解しているようだった。彼の胸中にも、同じ疑念がずっとくすぶっていたのかもしれない。
「宮殿の中央にある祭儀用の広場の方においでだと思う」
「まだ阿呆にはなってないな。そこに行くにはどう行けばいいんだ」
「正門からまっすぐ行くか、玉座の間の東側の出口から行けばいい」
「OK。悪いが気を失っててくれ。その方が貴様も、いざって時、ムスタバルに弁明できるだろ」
 氷河はそう言って、男の鳩尾に拳をのめり込ませた。呻き声もあげずに、男が気を失う。
 床に倒れた男の身体をまたいで、氷河は部屋の入口に駆け寄り、廊下に他の見張りがいないことを確かめた。そうしてから室外に飛び出そうとした時――氷河はこちらに走ってくる人の気配に気付いたのである。







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