そんなある日――。
 あれは確か、俺が瞬と同じ大学に入るため、必死こいて受験勉強してた年の瀬だったと思う。

 あの日は、瞬が俺に小論文の書き方をレクチャーしてくれる約束になってて、俺は、だから、健気に自分の部屋で瞬が来るのを待っていた。けど、時間に遅れるなんてしたことなて瞬が、約束の時刻を過ぎてもやってこないんで、心配した俺は瞬を捜しに行こうと思って、部屋を飛びだしたんだ。
 そしたら途端に、親父の怒鳴り声が玄関の方から聞こえてくた。どうやらどっかに出掛けるつもりだったのに、車の用意ができていかったらしい。年の瀬だってのに相変わらず忙しいこったと思いながら、俺は二階の回り廊下の手擦りから身を乗り出すようにして、親父に声をかけた。
「なんだ、親父。また出掛けるのか? 年の瀬くらい、少しは家に落ちついて、息子の受験勉強の進み具合くらい心配してみせたらどうなんだよ」
と、言い終わる前に、俺は親父の陰に瞬の姿があるのに気付いた。

「瞬、来てたのか! 時間厳守のおまえが時間になっても来ないんで、何かあったのかと思って、今、迎えに行こうとしてたとこだったんだぞ」
 俺が階段の方にまわると、瞬は親父に会釈して、階段をあがってきた。

 そん時、俺は気付いたんだ。
 急いで出掛けなきゃならないから、車の用意が遅れてることに腹を立ててたはずの親父が、玄関から出る気配もなく、ずっと瞬の姿を目で追ってることに。

 俺は、なんか急にムカついてきて、舌打ちをした。
「親父の奴、おまえがお袋に似てるのに気付きやがった…! 俺でさえ気付くのに八年もかかったのに」
「え?」

 俺の呟きに、瞬がぴょこっと顔をあげる。そして、困ったような微笑を作った。

 わかってる。瞬は自分と俺のお袋が似てるっていう俺の見解に同意できないでいるんだ。実際、写真を見た限りじゃ、瞬とお袋の顔の造作に、類似点はあまり見付けられない。俺のお袋は、女としては美人の部類だけど、瞬は女より綺麗だもんな。

 けど、目が――お袋がいつも俺や親父に向けてた、あの、愛しいものを慈しむような、自分の幸福を目の当たりにして、その幸福に満ちたりているような、それでいてどこか切なげだったあの眼差しが、瞬の優しい色の瞳に酷似している――と、俺は思う。
 それはもしかしたら、優しく穏やかな人間に共通のものなのかもしれないと思ったこともあるが、けど、やっぱりそうじゃなかったんだ。なんつったって、あの親父が、あんなに真剣な目で瞬を追う…ってことは、やっぱり瞬はお袋に似てるってことなんだろう。

 そーいや、親父が瞬と顔合わせるの、これが初めてじゃないか? 瞬は頻繁に俺んち来てるのに、そういう時に限って親父は出張だの接待だので家を空けてることが多かった。まあ、実の息子の俺でさえ、親父と顔を合わせる時間は一日に15分あるかないかくらいなんだから、当然といえば当然のことだが。

「氷河。何、ぼーっとしてるの。早く椅子に座って!」
「あ、はいはいはーい」
 瞬に軽く睨まれて(これがまた滅茶苦茶可愛い)、俺はそのまま親父のことは忘れてしまった。






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