第四章  基臣





 人生の勝利者――俺は、高生加基臣をそういう存在だと思っていた。

 だが、高生加基臣の人生は、勝利や成功とは全くかけ離れたところから始まった。

 とはいえ、高生加基臣の中で、俺の――高生加氷河の――記憶が蘇り始めたのは十二、三歳を過ぎた頃で、俺は高生加基臣の最も辛かった時期に、高生加基臣を支えてはやれなかったんだが。
 しかし、記憶は残っている。

 近所の口さがない連中、学校の同級生、そして"本家"の奴らから、『私生児』とののしられ、蔑まれ、俺を認知してもくれない父親から生活費をもらって食いつなぐ屈辱的な毎日。美しさと若さしか取り柄のない母は、人の目を気にして、外を歩く時も家の中でもいつも俯いていた。俺が苛められて家に帰ると、たださめざめと泣くばかりの弱い女だった。

 高生加基臣の少年時代の記憶がすっかり俺と同化した頃には、俺は、父を、自分の生きている時代を、社会の全てを、憎むようになっていた。

 馬鹿馬鹿しくてやってられなかったんだ。私生児だからどうだっていうんだ? そんなことが、人間個人の価値よりも優先するっていうのか? 俺が何をどれほど努力しても、その成果を目の当たりにしても、それを認めようとしない社会が、その不条理が、俺は許せなかった。
 父の正妻に、母を蔑む権利があるか? 金にものをいわせて母を囲い者にした自分の夫をこそ、軽蔑すべきじゃないか。本家のあのぼんくらの義兄は、俺より身分が上だとでもいうのか? 俺に言わせりゃ、あいつは、親の地位の上に胡座をかいた、ただの馬鹿だ。

 しかし、昭和の中期はそういう時代だった。
 高生加氷河が生きていた頃とは比べものにならないほど、不義の子への社会の風当たりは強かった。

 そんな中で、俺の中の瞬への思いは、記憶の奥底に押しやられていった。屈辱的な今の俺の人生が、俺の知ってる親父の人生につながっているとは、到底思えなかったからだ。今の高生加基臣は、俺の知っている高生加基臣とは別の人生を歩むことになるのだと、俺は思っていた。
 それに、俺が俺の知っている高生加基臣その人だったとしたら、俺はいつかお袋に巡り合い、二人の間に子供をもうけることになる。この先、お袋が俺の前に現れたとして、俺はお袋と結婚し、そして――つまり、お袋と寝るのか?
 そんなことができるはずがない。

 そう考えて、俺が俺の人生を諦めかけていた頃、高生加基臣の母が死んだ。俺ひとりしか見取る者のない、寂しい死だった。
 俺はちょうど大学を卒業した頃で――幸い、私生児だという理由では、学校は俺を拒めなかった――その頃になってようやく、高生加基臣の父は、高生加基臣を自分の子だと認知する気になったらしい。正妻の子があんまり馬鹿なんで、優秀な補佐役の必要性を感じたからだったようだ。母の寂しい死に責任を感じたからではなく。
 俺は、晴れて(?)私生児から庶子に昇格したわけだが、そうなると正妻の方が黙っていない。

 正妻のヒスに倦んだ父は、留学という名目で俺をしばらくドイツに追い出し、ほとぼりがさめるのを待つことにした。
 俺はむしろ喜んで、その計画に乗ったんだ。






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