「……私は……」 白イルカの中で、クルーゼは長いこと、沈黙していた。 あまりにも簡単に、あまりにも自然に、人を(イルカを)愛することのできる人間の存在が、クルーゼに沈黙を強いたのである。 自分の生き方――もしかしたら、クルーゼのそれは、“生き方”ではなく“死に方”だったかもしれないが――を、真っ向から否定されて、すぐに反論することができない。 それは、クルーゼには、初めての経験だった。 ニコルの主張に諸手をあげて賛同することは、彼にはできなかった。 それは、クルーゼ自身を――まさしく、今の彼の全てを――否定することだったから。 しかし、それでも、クルーゼにわかったことが一つだけあった。 「私は、今はまだ呪いは解けなくていい。まだしばらく、君の抱き枕でいたい」 「白イルカさん?」 「もうずっと、長いことこうしてきたし、急に変わることは難しい。勇気がいる」 「人間に戻るのが恐いんですか? 人はみんな、優しいですよ」 「今はまだ、駄目だ」 「白イルカさん……」 ニコルは、勢いと衝動でモノにしてしまっていい相手ではない。 それだけは、ニコルの言葉に共感することのできない今のクルーゼにも、明確にわかった。 「いつか、呪いを解く勇気が持てるようになったら、その時には、君に頼むことにする。私を愛してくれと」 「ほんとに、恐くないのに……」 「今はまだ──」 白イルカ・クルーゼは、ニコルのベッドの上で、もそもそと首を横に振った。 そんな日が来るはずのないことを、クルーゼは知っていた。 我が身にふりかかったこの呪いが解けることはない。 それはわかっていたのだが。 人が生きていくためには、希望が必要である。 そして、ついに与えられた、その希望。 その希望が、迷いに通じることになってしまうのが、クルーゼの不幸ではあった。 それきり黙ってしまった白イルカ・クルーゼを、ニコルがぎゅっと抱きしめる。 ニコルに抱きしめられた白イルカ・クルーゼは、布越しに伝わってくる彼の細い腕の温かさに、不思議な心地良さを味わっていた。 朝方、ニコルの洩らす小さな寝息を確かめて、クルーゼは白イルカの中から注意深く這い出た。 抜いておいたスポンジと綿を元の場所に詰めて、持参の針と糸でチークチークとイルカの背を縫い合わせ、音を立てないようにしてニコルの部屋を出る。 髪のそこここに、綿やらスポンジやらをまといつかせて部下の部屋から忍び出るクルーゼの姿は、傍から見る分には、完全無欠の変態夜這い男だった。 |