第三章  六人目のシュメール





 明けて招喚式の朝。
 起床したナキアが窓の下の広場を見おろすと、そこはもう黒山の人だかりだった。黄褐色の土はほとんど見えず、人々の黒い頭と白い衣装だけが見える。まるで大きな卓に零れた塩の上を無数の蟻が蠢いているようだった。
 招喚式は太陽が中天にのぼった時始まると、ナキアは昨日イナから教えられていた。その前にナディンに会い、あの小さな柔らかい手を握りしめてやらなければならない。
 そう決意して、ナキアは部屋を飛びだしたのだった。


 神殿内は昨日よりずっと騒がしく、皆が忙しそうに立ち働いていて、誰かを捕まえてナディンの居所を尋ねるのも憚られるほどだった。
「ナディン様たちは、式の前に陛下と神域に入って神々に祈りを捧げることになってるよ」
 ナディンの居場所をやっと聞きだしたナキアは、神殿王宮の中央にある神域に急いだのだが、神域への出入口の周囲は特に人だかりが激しかった。ナディンたちはどこにいるのだろうと辺りを見回した時、
「お出ましだぞ!」
の声と同時に、人の山が二つに割れる。
 イルラたち五人のシュメールが東の居住区からゆっくりと神域に向かってやってくるのが見えた。
 軽装だった昨日までとは打って変わって、皆美々しい礼装を身に着けている。全員が肩から胸に掛けている金の装身具の中央には魔除けのラピスラズリがきらめいていた。ナイドなどは豪華な装身具の方が格負けしている感があったが、華奢なナディンにはそれがいかにも重たげである。
 これまで短い衣装を着ているナディンしか見たことがなかったナキアは、この小さな少年の肩にどれほどの重責が課せられているのかと、今更に考えを及ばせたのだった。
「ナディン!」
 ほんの少しでも彼の心を軽くしてやりたいと思い、ナキアは彼の名を呼び、人混みをぬって前に出ようとした。
「あ、駄目だよ、近寄っちゃ」
 人だかりの整理に務めていた神官らしい男がナキアの腕を掴む。
「あ、いいんです、ナキアさんは…。ナキアさん、どうかなさったんですか?」
 ナディンが歩を止めて、ナキアに尋ねてくる。
 ナキアは一瞬声を詰まらせた。何と言えばいいのかが咄嗟には思いつかなかったのだ。
「あ…あの…あのね。今日はすごくかっこいい。頑張ってね!」
 それだけ言って、ナディンの白い指を、荒れて節くれだった両の手で包む。すると、それまで少し緊張しているようだったナディンの表情がふっと緩んだ。
 ナキアに手を握ってもらった――それだけのことが、彼は嬉しくてたまらなかったらしい。ナディンはぱっと花が咲くように笑い、
「はい!」
と、元気のいい返事をナキアに返してよこした。
 ナディンのすぐ前にいたナイドは、二人のやりとりなど気に掛けてもいないような顔をして、真正面を向いている。
 それきりナキアはまた人の波に飲まれてしまったのだが、神域の重い扉の向こうに五人のシュメールの姿が吸いこまれてしまうまで、彼女の視線はずっと彼等を追いかけていた。

 彼等と一緒に行きたい。

 そんな衝動が、ふいにナキアを襲った。






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