七日間の滞在を終え、明日にはキシュ王もキシュの都に帰ろうという日の夜。ナキアは、キシュ王の居室のある北の棟から続く長い廊下を、東の居住区に向かって歩いてくるナイドに出会った。
 月は欠け始め、白く冷たい光で神殿王宮の庭を満たしている。若草色の下草までが不吉な銀色に輝く夜だった。
「ナイド!」
 どうしても眠ることができず庭に降りていたナキアが、どこか人目を忍んでいるようなナイドに躊躇せず声をかけたのは、もしかしたら彼ならば自分の知りたいことを教えてくれるのではないかと考えたせいだった。バーニを妬んでいるようだったナイドなら、ナディンを妬んでしまいそうな自分に与【くみ】してくれるのではないかと、ナキアは期待したのだ。
「ナイド、どこ行ってたの?」
 ナキアに問われたナイドが、親指で背後の北の宿舎を指さし、嘲るような笑みを作る。
「あの狸親父に目いっぱいシュメールの歌を聞かせてやってきた」
「――ナディンに触るな…って?」
 ナイドは庭には降りてこず、二階の回廊の上からナキアをじろりと睨みつけた。
 既にナイドの睥睨に慣れてしまっていたナキアはたじろぎもしなかったが。
「私…信任式の時、ナイドはキシュ王にじゃなくバーニに歌っているのかと思ったわ…」
「……」
 おそらく図星だったのだろうが、ナイドは眉のひとつも動かさなかった。答える代わりに、逆にナキアに尋ねてくる。
「おまえ、そんなにあの男が好きか?」
「え?」
「おまえの気持ちを知っていて、自分もおまえを好きだと言いながら、神に逆らう気はないと言う。そんな男のどこがいいんだ」
「ナイド…」
 ナイドにしてみれば、バーニは、彼の大事なナディンに触る不愉快極まりない男なのだろう。
 だが、ナキアにとってはそうではなかった。
「でも、バーニは私の命の恩人で、私をナイドたちに会わせてくれた人なのよ!」
 ナイドを見あげ、ナキアは彼に訴えた。自分の恋する人を仲間に悪く思われるのは辛いことだった。
「おまえは――」
 月よりも冷めた瞳が、ナキアを見おろしている。その瞳の奥に、哀れみと優しさと、そしてなぜか戸惑いとを、ナキアは見いだした。
「おまえはあの男を憎みたくないから、ナディンを憎もうとしている。おまえのために、ナディンはあんなに悲しんでいるというのに」
「……!!」
 瞳を見開いて息を飲むナキアに、ナイドは相変わらず冷たく静かな視線を注いでいる。ナイドは、反駁の言葉もないナキアをしばらく下目使いに見やっていたが、やがて彼はその視線を脇に逸らしてしまった。そして、それ以上は何も言わず、自室に向かって歩きだす。
 ナキアはかつてなかったほど目まぐるしく考えを巡らせてナイドを引きとめる言葉を探そうとしたのだが、考えれば考えるほど彼を引き戻す言葉はナキアの元から遠くに逃げていってしまうようだった。






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