翌日、キシュ王はやってきた時と同じように数十人の兵に護られて自分の国へと帰っていった。
 来た時と異なるのは、彼が兵の武装を解かせたことと、見送りに出たシュメールたちへの態度の慇懃さだった。特にナディンに対しては、ほとんど『仰ぎ見るのも恐れ多い』といった様子で、アルディはその豹変振りに笑いを噛み殺すのに苦労していた。
「ナイドはただ、『ナディンに触るな』って歌っただけなのになー。よっぽどナイドの思念が強烈だったんだぜ」
 キシュ王の一行が大階段を降りきるのを待って、肩の凝りをほぐすように右手をぐるぐると振りまわしながら、アルディが大きな声で言う。アルディは、小さな声で話すのが苦手だった。
「シュメールの力はまだよくわからないところがあるからな。表層の思考は『ナディンに触るな』だけだったとしても、もっと奥深いところで考えていることが聞き手には作用するのかもしれないし。我々は聞きとれたり感じとれたりするから、それを自分の意識や言葉で理解してしまって、かえって我々の思念の本当のところが判断できないのかもしれない」
 それだけではないだろう――と、ナキアは思っていた。ナイドは夜陰に紛れてキシュ王の許を訪れ、ナディンがいかに気高く尊い存在なのかを、キシュ王にいやというほど歌って聞かせたに違いない。そして、多分彼は、そんなふうに気高く尊い存在であるナディンを妬むナキアをも苦々しく感じているのだろう。他人を妬んで苦しさを紛らそうとするのをやめて、自分の苦しみを自分で苦しめと、彼は言いたいのだ。あるいは、欲しいものを手に入れるために努力をしろ、と。
(わかってる! わかってるわよ! 私だってナディンを妬みたくなんかない。でも、神の意思に背いて自分の恋を手に入れようとするより、バーニを憎むより、ナディンを妬んでる方が楽なんだもの! 神に背く勇気なんか、私にはないわよ。だって私をバーニに会わせてくれたのも、私をシュメールにしてくれたのも神様なんだもの。神に背こうなんて考えられるわけないじゃない…!)
 ナキアの胸中の叫びを知ってか知らずか、ナイドは徐々に小さくなっていくキシュ王の行列を無言で凝視している。
 ナディンと他の三人が、微妙に異なった思いをそれぞれの胸に抱いて、気遣わしげにナキアを見詰めていた。


 神に背く気はない。神の意思に背いて、平和な国土を危うくすることなど思いもよらない。しかし、神の意思を尊重する限り、自分は決して幸福にはなれない――。
 ナキアの相剋は日を追うごとに激しくなっていった。
 バーニがナキアを自分のシュメールの一人としてしか見ていないのであれば、ナキアの心もそれほどに乱れはしなかっただろう。だが、ナキアはバーニの気持ちと決意を知らされてしまった――。
 ナキアの忍耐が限界に近づいていたある日、その知らせは突然エリドゥの都にもたらされた。






[menu][next chapter]