Everyday I'm looking for a rainbow.
眠る貴方の傍で 2004.05.29


「今日もいい天気!」

私は廊下から空を見上げた。

突き抜けるような青い空。

雲ひとつ無くとまではいかないが、快晴と呼ぶには十分な天気だ。

こんな日は、またお花見がしたくなる。

「なんて、もう花は咲いてないけれど」

今はもう初夏。

あの聖杯戦争から、すでに一月以上経った。

あれだけの事件があったというのに、街はもう平穏を取り戻している。

街だけでなくこの衛宮の屋敷も、すっかり落ち着きを取り戻した。

実際には、落ち着いたけれども賑やかという、ちょっとおかしな状況だ。

今この家で食事を取るのは、藤村先生だけでなく、姉である遠坂凛、そしてサーヴァントのライダー。

女3人寄れば姦しいと言うが、気がつくと4人もいる。

4人揃うと、自然と賑やかな食事になる。

「先輩はてんてこ舞いだけど」

そう言って、私はくすっと笑った。



サァーっと。

穏やかな風が優しく頬を撫でる。

「さて、今日もがんばらなくちゃ!」

そう言って、間桐桜は台所へ、彼女を待つ衛宮士郎の元へ歩き始めた。





眠る貴方の傍で






「先輩、おはようございます」

「ああ、桜。おはよう」

先輩はトントントンと、小気味よい包丁捌きを見せている。

既に火を止めてある鍋からは、ほんのりと味噌汁の匂い。

インスタントにもなっているので簡単だと思われがちだが、味噌汁はとても難しい料理だ。

特に火加減が難しい。

十分に温まっていなければ美味しくない。

ただし、逆にうっかり沸騰させてしまえば、塩辛くなってとても飲めたものじゃなくなる。

それ以外にも具の取り合わせだとか、出汁のとり方だとか、気をつけなければいけないところはたくさんある。

密かに先輩に一番後れを取っているのが、この味噌汁なのかもしれない。

「でも、このハードルを越えなくちゃ、先輩の・・・」



「俺の何だい?」

「え、ええぇ?」

気がつくと、私はこぶしを握り締めて、味噌汁の入ったお鍋を睨み付けていた。

先輩はやれやれといった感じで、私のことを見て笑っている。

「あ、あのですね、先輩の料理は今日もおいしそうだな、とか?」

ああ、なんか混乱して支離滅裂なことを言ってるぅ。

朝からなに恥ずかしいことしてるのよ。もう、ワタシのばかっ!

しどろもどろになっている私をよそに、顔を赤くした先輩が料理をテーブルに運んでいた。

きっと私の顔も、あれに負けず劣らず真っ赤になっているんだろう。


―――えっ、先輩の顔も赤い?


「あ、あのっ!」

ガシャン!!!

先輩の様子がおかしいことに気がついて私が振り返るのと、先輩が料理の載ったお皿を落とすのは、ほぼ同時だった。

「うわっ、ごめん」

そう言って先輩は床に落ちたお皿に手を伸ばす。

ただ、足元がふらついていて、お皿に手を伸ばすというより、よろけて床に手を付くといった感じ。

私はとっさに脇から先輩を支える。

くっ、重い。

決して太っているわけではないけれども、そのがっちりとした体を支えるのはちょっと辛い。

だが、ここで潰れる訳にはいかない。

私は足に力をいれて体制を立て直すと、そっと額を合わせる。

なんだか自分からキスを迫っているみたいでちょっと恥ずかしい。

ただ、そう思ったのはほんの一瞬だけ。

「えっ!?」

先輩はびっくりするほど熱かった。

体温計を持って来るまでもなく、普通なら起きていられないほどの熱であることがわかる。

「先輩、どうしてこんな無茶を!」

「いや、確かにだるいなあとは思ったんだけど・・・」

「もうっ、言い訳は後で聞きます」

「ああ、ごめんな、桜」

そう言うと、先輩はガクッと力を抜いて、私にもたれ掛かってきた。

「わっ!」

急に先輩が力を抜いたせいで、私もバランスを崩してしまった

このままじゃ先輩が頭から倒れてしまう。

私はとっさに先輩を庇って、その頭を抱き寄せたところで・・・



グッっと、強い力で引き上げられた。



「大丈夫ですか?サクラ」

「あっ、ありがとう、ライダー」

どうやらお皿の落ちる音を聞きつけて、心配になったライダーが駆けつけてくれたらしい。

間一髪で、二人とも怪我をせずに済んだみたいだ。

「代わりましょう、サクラ。あなたでは、体の大きい士郎を支えるのは難しい」

そう言って、ライダーはすっと先輩の脇の下から腕を入れた。

「いいわ、ライダー。先輩は私が支えるから、布団の準備をお願い」

「ですがサクラ、」

まだ何か言おうとするライダーを遮って私は体制を立て直すと、先輩と肩を組むようにして、一歩、また一歩と、歩き始めた。

―――先輩を支えるのは、私の役目。世界を敵に回してでも、私の味方になってくれた先輩。だから私は、世界の全てが先輩の敵になっても、先輩の味方になるの。

そんな私の想いを知ってか知らずか、ライダーは何も言わずに体を引いて、先に居間を出て行った。





「とは言え、先輩って見かけより重かったんだ」

もし私が言われたら、怒りのあまり再びアンリ・マユを呼び戻しそうな台詞をはきながら、私はなんとか先輩を部屋まで連れてきた。

部屋には既に布団が整えられていた。

枕元には氷嚢も用意してある。

私は最後の力を振り絞って、ゆっくりと先輩を布団におろした。

そしてライダーが掛け布団を直し、タオルに巻いた氷嚢を、先輩の額にそっと置いた。

「ありがとう、ライダー」

「いえ、サクラもお疲れ様でした」

私はふーっと大きく息をつくと、先輩の顔をじっと見つめた。

先輩の顔は赤く息も少し荒い。ただ、それほど苦しそうな表情はしていなかった。

「単なる風邪でしょう。彼は昨日も土蔵で寝てしまったようですから」

「本当?もうすぐ夏とはいえ、まだまだ夜は冷え込むときがあるのに・・・」

先輩は昔から自分を大事にしないところがある。

『土蔵で寝ると冷えるから、せめて毛布の一枚でも。』

そう言ったのに、桜は心配性だなあなんて笑って、取り合ってくれなかった。

それがこの結果だ。

「今度はもっときつく言い聞かせないと駄目ね」

「ええ、そうした方がよいでしょう」

私の言葉に、ライダーもはっきりと頷いた。





「さて、ライダーはもう少し先輩を見ていてくれる?」

「サクラはどうするのです?」

「私は居間を片付けてくるわ。あのままにしておけないでしょ」

そう言うと、私は先輩の部屋を出た。

あれから少し先輩の様子を見ていたが、落ち着いて寝ていた。

あれなら時折氷嚢を代えてやれば大丈夫だろう。

それより、料理をひっくり返したままの居間の方が心配だ。

あれを藤村先生に見られたら、食べ物をそまつにするなんて!と言って先輩のところに怒鳴り込んできかねない。

「さて、早いとこ片しちゃいましょうか」

私は居間につくなり、手早く床に散ってしまった料理を、横にあった新聞を広げて拾い始めた。

もちろん、後学のため、被害を免れた料理をしっかり味見しておくことは忘れなかった。





「こんなものかな」

最後に汚れたテーブルを布巾で拭きおえて、部屋を見渡す。

先輩が寝ているので掃除機はかけられないが、もう汚れた箇所は無さそう。

幸いにも、今日は藤村先生も姉さんも来なかった。

もし来ていたら、良くも悪くももうひと悶着あったかもしれない。

藤村先生も姉さんも、先輩のことを本当に大切に思っている。

−−−もちろん、一番大切に思っているのは私だし、先輩が一番大切に思っているのも私なんだけどね。

ふっと浮かんだ自分の考えに、自然と頬が赤くなるのがわかる。

「もう、そんなこと考えてる場合じゃないのに」

私は頭を軽く振ってその考えを振り切ると、台所向かった。

「せっかくだから、お粥の準備もしておこうかな」

あまり作ったことはないし、自信も無いけれども、今日ばかりはそうも言っていられない。

私は腕をまくり、横にかけてある自分のエプロンをすると、棚から小さな土鍋を取り出してお粥を作り始めた。





「さて、こんなところかしら」

私の前には、すっかり水に馴染んだお米。

それから、梅肉を叩いたもの。刻んだ長ネギ。

もう少しボリュームのあるものにしようか迷ったが、今日の様子ではこのぐらいで丁度いいと思う。

―――全く、先輩の強がりにも困ったものね。

先輩は強い。

肉体的にもそうだし、精神的にも、本当に強いと思う。

その姿に憧れて、聖杯戦争の後、私は言った。

『先輩に負けないぐらい、強くなります』

だけど、先輩は困った顔をして、首を振った。

『桜にはね、もっと弱くなって欲しいんだ』

その時、先輩が何を言っているのか、私にはわからなかった。

詰め寄る私に、先輩は優しく言った。

『桜は強いよ。今こうして桜が笑っているのを見て、本当に強いと思う』

そして、私のことを抱きしめてくれた。

『桜はもっと弱くなって、弱さというものを知って欲しい。その方が、人に優しくなれるから』

『それに、これからはもっと衛宮士郎を頼って欲しいんだ』

そう言う先輩は本当に照れくさそうだった。

その時私は舞い上がってしまって、先輩の言うことの意味なんてほとんど理解していなかった。

でも、今ならわかる。

弱さを知ること。弱い自分を知り、認め、受け入れること。

誰かとともに在るためには、相手の弱さも知らなくてはならない。

それにはまず、自分の弱さを知らなくてはいけない。

思えば兄さんも、本当に弱い人だったんだと思う。

ただ、その弱さを知らなかったために、自分を失ってしまったのだろう。

先輩は兄さんの弱さを知っていて、それを受け入れたから、あんなにひどい態度の兄さんと仲が良かったのだと、ぼんやりとわかってきた。

「そう言う先輩が、なんだかんだ言って強がってばかりなんだから」

もっと私に頼ってくれてもいいのに。



添え物にラップをかけ終った。

後はお粥に火をかけるだけの状態にして、私は再び先輩の部屋へ向かった。





「ライダー、先輩の様子はどう?」

「ええ、随分と落ち着いたようです」

私はそっと先輩の傍に腰を下ろすと、その顔を覗き込んだ。

まだ顔は赤いものの、朝に比べたら呼吸はずっと穏やかになっている。

この分だと、今日一日寝ていれば大丈夫だろう。

「士郎にも良い休養になったのではないでしょうか」

「そうね。先輩って、なんだかんだ言って、じっとしていられない人だから」

「これからはもう少し体を休めるように言いましょう」

私もそう思う。だけど、先輩はなかなか頑固だから、ちょっと困ってしまう。

そう言うと、先輩には私の方が頑固だなんて言われちゃうし、ライダーからしてみれば、似た者同士なんだそうだ。

この際、それはいいとして。

「それじぁ、後は私が見ているから、ライダーは休んでいて」

「はい。何かありましたら、いつでもお呼び下さい」

ライダーは律儀に頭を下げると、先輩を起こさないよう、音を立てずに部屋を出て行った。





ぎゅっとタオルを絞って、先輩のひたいにそっと置く。

くすぐったいのか、先輩はう〜んと小さく唸る。

起こしてしまったかとちょっと焦ったが、大丈夫のようだ。

こうして先輩の世話をするのは、とても嬉しい。

不謹慎かも知れないけれど、今日だけじゃなく、明日も寝てて欲しいなんて思ってしまう。

折角先輩と恋人同士になったのに、二人でいられる時間はめったにない。

朝食は大抵姉さんと藤村先生がいる。夕飯もしかり。

登校も姉さんがいる時が多いし、先輩はやっぱり弓道部に戻ってはくれないので、一緒に下校はできない。

なにより、ライダーは私達のことを心配して、何かと一緒にいるようにしている。

それはありがたくもあり、ちょっとだけ気をきかせて欲しいな、なんて思う。

これじゃ、恋人同士になる前の方が、よほど二人きりでいられた気がする。

恋人同士になって何が変わったかといえば、夜誰も泊まらないときに先輩と・・・

「わっわっ!」

頬が火照るのを感じて、慌てて思考を中断させた。

今日は朝からずっと先輩の傍にいるせいか、なんだか妙なことばかり考えてしまう。

―――でも、恋人同士になったからといって、あまり変わってないかなあ。

思えば、二人で出かけるときにそっと手を繋ぐぐらい。

他には何も思い浮かばない。

普通なら、もうちょっと変わりそうな気もする。

例えば・・・

「名前で呼び合う、とか?」

そう言えば、先輩はずっと前から私の事を名前で呼んでくれている。

藤村先生は先輩の事を名前で呼んでいる。

姉さんもたまに先輩の事を名前で呼ぶ。

よく考えると、ライダーまで先輩の事を名前で呼んでいる。

あれ?。もしかして、私だけだったり?。

というか、変わらないんじゃなくて。

「私が変えてないだけっだったり!」



まったくどうかしている。

なんでこんな大事なことに気付かなかったんだろう。

もしかしたら、先輩といる時間が長すぎて、どこか慣れてしまったのかもしれない。

これじゃいけない。

そう、気付いたからには、今からでも変えてみなければ。


先輩を名前で呼ぶ。


たったそれだけのこと。

なのに、こんなにも緊張するのは何故だろう。

「スーハー、スーハー。よし!」

大きく深呼吸をして、先輩を見据える。

「っつ!」

やっぱり恥ずかしい。

先輩は相変わらず眠っているので目を合わせてはいないけれども、心臓がドキドキと早鐘を打っている。

「スーハー、スーハー。スーハーーー」

もう一度、さっきよりも大きく深呼吸。

そして、

「士郎、さん」

言えた!

流石に呼び捨てにするのはまだ無理だけど、なんとか出来た。

今の感覚を忘れないように、もう一度。

「士郎さん」

今度ははっきりと。

「士郎さん」

なぜか体中が暖かくなってきた。

「士郎さん、士郎さん」

ただ名前を呼んでいるだけなのに、凄く嬉しい。それに、気持ちがいい。

「士郎さん、士郎さん、士郎さん」

あ、なんだか止まらなくなって来ちゃった。

「う〜ん・・・」

なおも続けようとしたが、先輩が眠ったまま顔をしかめてしまった。

もう、折角名前を呼んでいるときなのに。失礼しちゃう。

すると、ガサガサと先輩が腕を出してきた。

どうやら熱いらしい。

まさか、私の熱気にあてられてしまったとか。

「そんな訳ないか」

私は先輩の手を取って、そっと布団に戻そうとした。

「先輩、あったかい・・・」

私は先輩の手を布団に戻すのをやめ、その手をそっと自分の頬に当てた。

大きな手。

私を包み込むように、その手に触れたほおから先輩の暖かさが伝わってくる。

この先どんなことがあっても、このぬくもりさえあれば大丈夫。

そんな気がする。



「ちょっとだけ、いいよね」

私は目を閉じる。

何とも言えず、心地よい。

そして、私はゆっくりと眠りに落ちていった。

先輩のぬくもりに包まれたまま。



「おやすみなさい、士郎さん」





−FIN−



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