E先生の大営業日記 1997年9月〜1998年4月
これは「おにょれえええ!!!」な日々を送る私の友人である「E」の酒と涙の営業日記である。

BACK   HOME

1998.4.6


午前中ユーザーのとこにいって、マイクロフィルムの提案。
わしは何でもやるのだ。
今日は他に、
 ・ユーザーの住所データを郵便番号7桁変換
 ・システム仕様書のメンテナンス
 ・NTマシンにSCSIボードを増設(ボードはOKだったが
  ディスクをつないだとたんブルーショックになった。未解決)
 ・上司のマシンにMSオフィスとロータスオフィスとノーツの
  インストール。
 ・H9年度分請求事務
 ・部下の機嫌取り
ああ、わしはいったいなにをしとるんじゃ!

1998.3.16


昨日,晩またまたガンダムXのビデオをみていて
そのまま床の上で朝まで寝てしまったので
背骨が痛い。よく板の上で寝れば姿勢が良くなると聞くが,
体には悪いと思う。

夕方来年度の組織の打ち合わせ。業務とか人の配置とか
私の嫌いな話なので疲れた。しかも私のチームに新人が
ひとりも増えずに1番目と2番目に優秀な部下が別チームに分かれてしまいそうだ。
もはやT氏のように「やめじゃ!」という気力もS氏のように「おにょれー」と
のたまう気力もなく,ただただU氏のように「えええええ,まあええよ」とおどけ
てしまうのであった。

1998.3.15


あー,日曜なのにしごとだー。
今,会社の統合配線化をやってるのだ。簡単に言えば
LANと電話線を1本でやってしまおうと言うものだが,
既存の電話線やLANケーブルの撤去など,いろいろ手が掛かる。
ついでに部門のNETWAREサーバーも移設した。これにあわせて
メモリも増設した。以前は48mbしかなかったので
CDROMもマウントできなかったので,一回すげー
腹が立ったことがあったので,+128MB追加してやった。
トータル178MBだ!リソース状況を見ると
キャッシング170MBとでている。ざまーみろ。

本日統合配線の接続テストをする。だいたいいけそうだ
(FAXは2台ともしんだが)。

1998.2.26


うー,やっと業務終了した。いそがしー(といって部下の女性たちは
速攻で帰ってしまう)。

この時期は係の今期売上げ見通しの確定と来期見通しの策定と
部下の人事評価と面談が重なって忙しい。しかも黒字だったので
課長が太っ腹に「ハードを増強しよう!」とあいなったので
未だに現役のDX4マシン7台のリプレイスを含めたしりょうをいままで
作っていた(予算枠があり皆が欲しがるので苦労する)。
資料を作成していると皆があんなんほしいこんなんほしいと
言い出すのでだんだん腹が立ってきた。一通り資料を作ると
「いや,さっきはあーゆーたけどなー,実はこちらの
パソコンの方がええんちゃうんかいな」といわれてさすがに
「だめ!!!」と怒ってしまった。

1998.2.13


昨日の夜,ようやくガンダムX最終話まで録画し終わった。
ふ、俺のことをランスロー大佐と呼んでもいいぜ。

今日,午前中課長に呼ばれた。今期の収支見通しが
大きく狂ったのはなぜかと詰問された。ふ,これだから
オールドタイプは困る。そんなの簡単さ,
てきとーに数字を報告してたからだ。ふ。
午後客先訪問。パソコンの再セットアップ。
やればヤルほどシステムがおかしくなった。
ビルゲイツも所詮はオールドタイプか。
私のように時が感じられたり未来が見えたりしないのだろう。

今日はバレンタインだが私宛のは酒が多い。洋酒と
焼酎だ。なかなかみんなもわかってきたではないの。
早速のもう。

1998.2.12


・月曜徳島出張した。
  徳島出張は天保山からフェリーで行く予定だった(2時間でつく)。
  あさ10時過ぎの便を目指して9:30に天保山につく。待合所の
  ガラスになにか張り紙があるのが見える。いやな予感がする。
  近づくに連れ赤い字でかかれてあるのがわかり,予感が絶望に変わった。
  「強風のため欠航します」

  ふざけーーーーーんな!!!

  13時発の便から再開するらしいが,それだと徳島港着が15時になって
    しまう。仕方ないのでJRでいくことにする。10:30に新大阪をでる
    と岡山に11:30、岡山から接続している特急で徳島に13:30に到
    着できる。いちろ新大阪に向かう。うまい具合に10:30発の新幹線に
    乗れる。時刻表で確認すると,岡山で特急が接続している。8分の余裕が
    あるので大丈夫だろう。
  悲劇は新明石駅で起きた。アナウンスが入る。
  「えー,本日米原付近雪のため,のぞみが20分遅れております。先行さ
    せるため当列車は新明石駅で臨時停車し時間待ちを致します。あしからず
    ご了承下さい」

  ふざけーーーーーんな!!!

  結局10分遅れてしまった。岡山駅直前で再び魔のアナウンスがはいる。
  「あー,大変申し訳ありませんが,到着時刻が遅れたため,徳島行き特急との
  連絡はできません。徳島行き特急をご利用のお客様は高松まででて,高松発の
  特急列車をご利用下さい。あしからずご了承下さい」

  ぶぜんとしながらマリンライナーで高松まででる。この時点で既に13時前。
  高松発特急は14時発。1時間ぼけーとする。

  14時ようやく徳島行き特急が発車する。高松/徳島間特急と入っても
  単線3両編成でしかも気動車(ディーゼル)だ。田舎じゃのー。

  結局徳島には15時過ぎについた。考えてみると,天保山13時発のフェリー
    を待っていてもかわらんかったのだ!

  ふざけーーーーーんな!!!

  現地で作業が終わり,客に車で徳島港に送ってもらう。18:10発の船に
  乗るべく出発したのだが,港直前で大渋滞にはまる。港についたときに見た
    のは「ボー」という汽笛と共に出港したばかりのフェリーであった。次の便
    は1時間後。

  ふざけーーーーーんな!!!

  というわけで1日かけて淡路島を中心にぐるり1周した出張であった。
  ふざけんな,フェリーよ。ふざけんなJRよ。

1998.2.8


わーい,日曜出勤だ(うれしくねーや)。
なぜかというと,金曜日時間後に課長に「ノーツ用のNTサーバーの提案書を
作ってくれ」といわれたからだ。月曜はわいは徳島に出張なのだ。しかも
天保山からフェリーなのだ(JRよりはやい)。出張で船旅なんて
うれしくねーや。しかも単にオールインワンぱそこんの設置だけだぞ
(日当くれるからいいけど,そんなん自分とこの社員に頼めよ)。

それで(「そうかそうかノーツサーバーやったら結構金額稼げるかも・・・」)
とほくそえみ課長に「客先の予算は?」とたずねると簡単に「40万円」と
言われた。なにー,サーバーハードとNTサーバー(10クライアントライセンス
いれて)とノーツドミノサーバーいれて40万円???
1秒も待たずに「無理です」と応えた。(課長も客には無理だといったらしい)
それでもとにかくやすく構成を作る。とーぜんマシンは普通のパソコンだ。
CPUはP2ー233,メモリだけは贅沢に160MBにし,UPS,バックアップ装置,
ディスクアレイは外した(こえー)。それで値引き後で70万円弱。
 もっと下げたければノーツサーバーをNTではなく95にするという手もあるが
(40万まででできる),10クライアントのノーツサーバーを95で提案するのは
さすがに課長も「やめとこ」となった。当然である。毎日確実にハングアップする
ようなメールサーバーなんて,さすがのアバウトな私でもようせん。

 ちゅうことで帰ってしまうのである。あー月曜から出張なんてしたくないわい。

1998.2.5


クライアントサーバー一式の注文書を作成するだけで
1日かかってしまった。うちの注文システムは
LOTUSノーツに組み込んだ手作りシステムで,
LOTUS123とdbaseを組み合わせた
すごーい使いにくいしろものだ。社内のほぼ
全員から「EXCELにせー」といわれているが,
「資産があるので,LOTUSを社内標準とする」
だって。

ふざけんな。だから社内LANのごく初期からわれわれ
LAN関係のメンバーが「EXCELにしよー」といてたではないか。
そのときの返答も「資産がある」だった。そりゃ毎年資産はふえていくわい。
ま、当時は123のほうが主流だったが。しかしいつかはEXCELに
切り替えなくてはいけない。わらうぜ,社内標準ワープロは「WORDプロ」だ。
こいつはすごい。機能や使いやすさ以前にものすごーーーーーく重いのだ。
WORDもたいがい起動時にいらいらするが,WORDPROの比ではない。
今の最新バージョンでWORDレベルに戻ったが,初期バージョンの時は
DXマシン+メモリ16MBが社内主流の時だったので,WORDPROの
添付文書を起動するとハードディスクがベンチマークテストのようにうなり,
そろっ、そろっ、とプログラムが立ち上がってきて,「ようやくあいたか」と
思える頃に、「一般保護違反」とよくなった。
大体ワープロなんてさくさく起動すべきもので、わいは簡単な文書なら迷わず
エディターを使ってしまう。大体LOTUS製品は重すぎる。オーガナイザー
なんて泣きそうになるくらい重い。それからついでに言ってしまうが、ノーツの
ブラウザーなんとかならんか。対応するJAVAコードが古すぎるため,
半分以上のホームページが見れない。LOTUSのホームページも見れない(笑)。

1998.2.3


おととい,メールしたようにあるユーザーにサーバーを導入した。
昨日TELがあって,ブレーカーが飛んでサーバーが「ピーピー」鳴って
うるさい,とのこと。あたりまえだ。鳴ってるのは@UPSだ。すぐに
ブレイカーを戻して鳴りやむ。聞いてみると冬場なので電気ストーブなどを
つかったりしているらしい。そりゃサーバー入れたらきれるだろう。
 そして今日。又朝「ピーピー」鳴ってる,とTEL。
 ・電源は異常ない。
 ・UPSのコードは抜けていない。
ということでわからん。部下にしらべにいかせたら,
サーバーのキーボードになにか当たりっぱなしになってたとのこと。
すぐに想像できんとはわいもまだまだ甘い。

夕方訪問してた顧客で,NTサーバーにつないでる1台の
パソコンからだけ印刷できないと言われる。プリンタフォルダを
開けるとオフラインになってた。無言でオフラインのチェックを
外す。このぐらい自分で見てくれ。

そういえば昨日サーバーを受注した。元々ANOS:NETWARE3.11J
クライアント:MSDOS5.0Aで動いてるアプリがあって,サーバーが
壊れたので提案してたのだが,NETWARE3.11Jなんてもうないぞ。
MSDOS5.0Aも廃盤だ。仕方ないのでNOSはNETWARE3.12J
クライアントはMSDOS6.2で提案して受注した。注文しようとして
驚いた。サーバーはCOMPAQで,NETWAREもCOMPAQ
に注文する事になってるのだが,NETWARE3.12Jが受注停止になってるではないか。
仕方ないのでNETWARE4.11Jをさがすとこれもない。というわけで
NETWARE3.11Jが急遽INTRANETWAREになってしまった。動くんかいな。
(ただ単にLOGINしてサーバーのディスクをマップするだけなので
問題は無かろう。アプリもNOSには依存しないし)

1998.1.29


昼から顧客にいってサーバーの設置。部下にまかそうかなー
と思ったが,プリントサーバーの設定がややこしいので,昼から
行くことにした(部下は朝からいっている)。
サーバーはこちらで設定済み,あと現地のパソコン3台をつなぐだけだ。
 私としては午後に顔を出して,プリントサーバーの設定だけを
やって帰るつもりだった。
 いってみると,どうしても1台がつながらないらしい。
このマシンはW3.1だったのだが,部下があらかじめ製品版95
アップグレードで95にしている。しゃあないのでみてみる。
 システムでプロパティを見るとNICに”?”マークがついていて
動作してない。これはおかしい。NICは本体標準装備のものだ。
ドライバをいれてみるが一緒。こんなのはじめてだ。一度NICをシステムから
削除してみる。今度はNIC自体認識しなくなった。なんじゃこりゃ,と
久々の優作モードに入ってしまう。もう一度システムを確認しようとプロパティを
あけて他のところをみてみる。なんと,NICどころかPCIバスコントローラ
自体が”?”マークではないか。標準NICはPCIバスを使用している。
NICが使えないのは当たり前だ。しかしこんな根本からおかしいとは・・・。
 悩みつつ漫然とシステムプロパティを眺めていて気づいたが,WIN95
のバージョンがすっぴん(aでもbでもない)なのだ。なんだ,サービスパックも
あててないのか。
・・・ひょっとして。
 本体のマニュアルをよむ。「W3.1からW95へアップするときの注意点」という
項目を読む。いきなり「PCIコントローラを認識させるには」とあるではないか
。
部下に「これやったか?」とはもう聞かない。全財産かけたってやっていない。
「ちゃんと読め!」といったところで「え、そうなんですか?しりませんでした」
で終わってしまう。
 無言でマニュアル通りドライバソフトを導入すると,何事もなかったように
NICが認識された。1時間以上使ってしまった。それからようやくプリント
サーバーの設定に入る。INTELのNETPORTはプリンタによっては全く
印刷しないといったファジーなブツだ。当然のように最初は印刷できない。
本当は難しいこれだけをやりにきたのだ。1時間以上かかるが対処法を発見する。
部下が「どうして印刷できないんですか?」とか,対処法を発見して印刷できる
ようになってから「どうやったんですか」とか聞いてくるがほぼ無視する。
いちいち応えてたら今日中におわらんし,第一客先でそんな講義をしてると
「早くやれ」とおこられてしまう(いつも帰りにおしえている。
「そーなんですかー」と返され,見事に忘れ去られてしまう)。
 いちおう17:30ぎりぎりに終了する。

 もうわいはなにも言う気にはなれない。

1998.1.22


いきなり午前中TEL休してしまった。昨日T氏と
飲みに行った焼酎お湯割りの大量摂取が原因かと当局では分析している。
ああ,まだ肝臓が痛い(本当にいたいところがこわい)。そのうち
料理の鉄人で「今日の食材はフォ・ア・グ・ラアア!!!」と
司会が布をめくると私がちょこんと座ってることになるであろう。
 午後いっぱいかけてサーバー導入の提案書作成。LOTUS
フリーランスだ。POWERPOINTより便利だ。しかし
サーバー1台うって(PENTIUMU,メモリ128MB,2GB
U/Wディスク*3,RAID5アレイボード,UPS,テープ装置,
100BASEはぶ,10クライアント,ARCSERVE)300万円いかんとは
悲しいわい。しかたないので年間約30万円のコンパックの機器保守
も強制的に入ってもらおう。それでもたらんので
なんとなく見積に
「ネットワークセットアップ費用 30万円」
「ネットワーク保守料年間  10万円」
とさりげなくいれてみる。まあいけるであろう。サーバーは
以前良く使ってたCOMPAQ PROLIANT800が廃盤になったので
PROLIANT1600にした。前回PROLIANT800の構成をミスッタので
慎重にやる。

<前回の失敗>
 内蔵ディスク3個に内蔵テープ装置1個の構成で,パンフレットに
 本体内蔵ベイ5個とあったのでそのままたのんで,いざ組み立てようとしたら
 5個のベイの内2個はFDとCDROMで占有済みだった。
 「コンパックもなかなかやるな・・・。しかし,このE様を
 なめるなー!サーバーにCDROMなんて不要じゃあ!!!」」とCDROMを
 ぶっこ抜く(FDはドライバのアップグレードなんかでいるのでCDROMを
  抜いた)。
 しかしコンパックも負けてはいなかった。NETWAREOSインストールがCDROM
  媒体なのだ。
 「任務,失敗か・・・」とヒイロ・ユイばりにつぶやき元に戻すのであった。
 本体の空いてる空間にディスクを1つガムテープで固定しようとしたらさすがに
 横で見ていた同僚が「それだけはやめろ」といったのであきらめた。
 結局,テープ装置を外づけにすべく増設筐体を買ったのであった。

1997.12.22


先般このコーナーでいろいろいってた顧客
(NETWAREでクライアントが張り付きまくる)
から「おちついたので関係者一同打ち上げを
おこなおう」と言われた。ええこっちゃ。
しかし・・・
「日取りだが,12/24にきめた」
といわれた。「いけるだろう」とも言われた。
そりゃわいは予定無き独り身なのでええのだが,
「いけるだろう」はないだろう。傷ついたわい。
しかし「いけるだろう」といわれて速攻で
「当然行けます,ははは」と答えてしまった
自分が情けない。
 もっとかわいそうなのは私以外の「関係者
一同」だ。うらわかきひともおるのに。
現にわいの
課長は来年早々結婚予定で,今日やっと
「相手の許可がでた」といってた。

1997.12.9


久々の日記である。
今,挨拶周りで忙しい。カレンダーや手帳など,例年と同じ品物だが,
今年は創立30周年なので,重要ユーザーに
@するっと関西
A辞典
BOAクリーナー
を配っている。@はまあいい。A,配る身にもなってくれー。
重い上に全然喜ばれない。そりゃソーダローなー。Bにいたっては
論外だ。こんなん子供でもよろこばんぞ。渡すときもつらいわい。
どうしてカレンダーをやめて(これも重い上に喜ばれにくい),
ビール券とか商品券とかにしてくれんのだ。商品を決定している
部署のヤツに40顧客配布!とかさせたらかわるんであろうなあ。

***E司令のトラブルコーナー!***
(こんなコーナーいらんわい)

先週顧客CYにて,既導入パソコンのW95ピアピアLANの導入を行う。
プリンタの共有が目的で,構成はIBMノート2機種4台,NECノート1台
,NECデスクトップ1台だ。
カードは「できるだけやすいヤツ」との指定により,プラネットJAPANのNIC
(100BASEで8千円ぐらいのもの。
これだけでもうまくゆきそうにないのがわかる。
 1台目IBMは3分ぐらいであっけなく終了。(そんなばかな)と半信半疑だ。
 2台目NECノート,NICインストール正常終了,しかしネットワークが見えない。
(きたかきたか)と思う。30分見てわからんのでパス。先は長いのだ。1台に引
っかかっていられない。
 3台目IBM,NICドライバインストールでこける。再挑戦でドライバ導入成功。
プロパティもOK。しかしネットワークが見えない。トラブルの原因はユーザーが
勝手に導入していたスクリーンセーバー「AFTER DARK」だった。
(ふっ,私にかかれば・・・)と,サキ・ヴァシュタールのようにニヒルに笑う。
これを停止して(もちろん了解を得て),3台目解決。
 4台目NECデスクトップはノートラブルで10分で終了。
 5台目IBMノートはまたしてもネットワークが見えない。このマシンには
「AFTER DARK」はない。
スタートアップで自動起動/常駐するソフトを外してみるが結果は同じ。HUBを
みるとそのパソコンのポートが光っていない。電気が行っていない。ケーブル/NIC
を変えてみるが一緒だ。
このへんでE司令の眉間にしわが3ミリぐらいよる。20分試行錯誤して原因が分かった。
ノート用NICとLANケーブルをつなぐプラスチックの接続コネクタが接続不良を起
こしていた。試しに手でグイと押し込むとつながる。やれやれ。初めてのケースだ。
ちゃんと検品しているのか?(これじゃあここでは1WEEKパイロットだぞ・・)
と意味もなく怒る。とりあえずクリア。
さてと,2台目NECノートの原因追究をするわけだが,ここでおかしな事に気づ
いた。IBMからはNECノートが見えてるのだ。他のパソコンからも見えている。
NECノートから他が見えないだけなのだ(もちろんプロトコルとかはあわせている)。
1時間ぐらい調べるが原因不明。(殺してやる殺してやる神崎め)と訳もなく
心は中東に飛んだ。仕方がないのでプリンタキューを直接打ち込んだら印刷はできた。
解決はしなかったが今回の目的のプリンタ共有には支障はないのでペンディング。
 最後にプリンタを共有させるパソコンにプリンタケーブル(10m)を接続して
印刷してみる。見事に文字化けした。(やはり長すぎるのだろうか・・・)
しかしそれまでは同じメーカーのプリンタケーブル(10m)でプリンタバッファ
経由でさらに5mのケーブルを延長して問題ないのに・・・。ここでさすがに何事にも
動じないE司令も「おにょれー」とわめいてしまうのであった。5mケーブルで
つなぐしかなかろう。とりあえずその日は現行のプリンタバッファを活かして
LAN印刷できるようにして帰社。

とまあ,こういうふうに私の係長人生は浪費されてゆくのだった。
しかしこれをすべて1人で半日でやってしまうところがE司令の司令官たるゆえ
んである。(部下にさせると2台目にかかりっきりで終わってしまうか,
3台目でつまる。5台目なんて絶対に見つけられんだろう)
あーもっと安定したインフラで商売したいぞ。

1997.11.26


久しぶりに1日デスクワーク。しかし・・・,内容は
来年度データパンチとマイクロフィルム作成料金の値上げをもくろんで
おり,そのお願い文書作成と,各顧客の過去の料金変遷資料の整理だ。
今あるユーザーで値上げ交渉が紛糾しており,はっきりと
「業者変えるぞ!」といわれている。
ここでUなら「たのむうううう,あげてくれえええ」と言うだろう。
Gなら「・・・・・・・」と無言だろう。
Mなら「えへへへへへ」と苦笑いするだろう。
Sなら「きさまっ,あげるのじゃ!」というだろう。
Tなら「ふざけんな!やめじゃ!」というだろう。
Pなら日本語にすらならないだろう。
あー憂鬱じゃ。たかだか月2万円でそこまでいうかー,と思う。
明日上司と同行して4度目の交渉をする。4度目だぞ。日米通商交渉でも
もっと進展があるぞ。でもこれが営業なのだ。そうして私は営業が
嫌いなのじゃ。飽きたわい。もうえいわい。便利屋のようにいろんな事に
担ぎ出されて,こういう折衝ごとになると当然のごとく矢面になるのだ
(職群が営業なので当然なのだが,だったら設置とかトラブル対応とかさせるな
,と言いたい)。
明日の交渉に控えてもう帰社してしまうのであった。

1997.11.21


ふー,3週間ぶりぐらいか。なんたって,例のLANでトラブッてた顧客Zに
係り切りだったのだ。特定のPC98とCOMPAQサーバーででる現象だと思う。
とにかくWIN95標準の「NETWAREクライアントサービス」をノベル製
「CLIENT32」に変えた。今週顧客で様子を見てもらっているが,
いまのとこ順調だ。やれやれ。ビルゲイツとNECの社長を無理矢理絡ませて
やりたいほど疲れた。
 今週2回顧客CYにゆく。国分にあって遠いのだ。パンチ料金の値上げ交渉だ。
ぶつぶつぶつぶつと言われまくり,まだ了承をもらえない。機械メーカーだから
そのへんのコスト意識はものすごいのだ。
 そうこうする内に又顧客Zで別のトラブル。「印刷せん」とのことで訪問すると
(会社から歩いて3分とちかいので,すぐ行くことにしている)
プリントサーバー(インテル製NETPORT)がSLEEPしているではないか。
電源を入れ直すと何事もなかったように快調に動作するので帰社する。
数時間後また同じ事象が発生したので再度訪問する。NETPORTはデフォルトで
4秒ごとにサーバーのプリントキューに印刷すべきデータがないかチェックに
いくのだが(これを「キュースキャンという),数時間印刷JOBがなければキ
ュースキャンをやめてしまうようだ。しかしそんな迷惑なSLEEP機能が
ついているはずもなく,現在調査中である。いいいいいんてええええるううううう!
 おとといのこと。顧客のPC98に95をインストールしTA/DSUをつなぎ
にいった部下が帰ってこない。
19時ごろ電話があって,
 @TAがOSR2でしか動作しないのでどうしようか
 AWIN95が「CONFIGのあやまり」で起動しない
と泣きついてきた。よっぽど「知るか自分で解決せい」といいたかった。入社5年
目なのに・・・。
Aは1度設定したWIN95を別パーティションにインストールし直して(これは
問題ない),なおかつ1度目にインストールしたときのCONFIGをコピー
したらしい。あほか。CONFIGのなかでデバイスの指定があり,パーティション
がずれてただけだ。まったく。
@については悲劇としかいいようがない。製品版でOSR2は無い。かつ
PC98についているWIN95はSETUP.EXEが無い(最初にインストール
するときにWIN95を選択したらFDにできるが,この顧客のようにWIN31を
選択すればこのFDができない)。
ううむ。結局後日別の95マシンのSETUP FDを使って成功した。厳密には
ライセンス違反のような気がするが,WIN31をアンインストールするから
道義的には問題なかろう。しかしなー,「WIN95にバージョンなんてあるんですか
!?」には驚いた。昼飯くわずに勉強して欲しいよ。本読めばわかるやろ。
今日も早くに帰社してしまった。
そんな暇あるのか?私生活削ってでも勉強せー!と言いたい気持ちをぐっとこらえ
てにこやかに送り出すのであった(さすがに女性にそういうことをストレートに
言うと問題になる)。でもなー,そのためにわいらの時間を消費するんだからなー。

 というように今週も怒りまくったのであった。おーい,インフラに強い部下が欲
しいよー。正直言って素人で言語の壁もあるが,Pを1から鍛えた方が格段に戦力になるぞ。

1997.11.5


午前中課の会議でつぶれる。
午後,別の会議にでて,他に営業にでる予定のはずが,12:30ごろ昼食から
帰ってきたら,以前怒らせた客先にいっている部下から連絡が入る。プリンタ切替器
をいれて接続するのだが,うまくゆかないらしい。その部下が午後2番で他に行か
なければ行けないので仕方なく私が代わりに訪問する。いろいろやるがやはり部下の
言うとおり印刷できない。
ケーブルを変えてみようとしたときに原因がわかった。ケーブルをつなぎまちがえ
ているのだ。これで印刷できたらこの世の物理学者が即死するようなつなぎかただった。
やれやれ。いくら切替器を2台接続して複雑になっているとはいえ,本職やぞ。
ううむ。はー。

1997.11.4


午前中社内で新規開発案件の見積。正直ベースに算出して,
あとは危険率を算出して(よくバグッたりするから。MSは実は
見積はここの部分が一番悩む)工数をはじき,後は利益を積む。
この辺までは簡単。後はユーザー向けに危険率や利益を必要項目に
振り分けるだけだ。
 午後,例のLANにつないだとたん張り付くユーザーのとこに
いって,300万円のLANアナライザー「スニファー」を持参して
調査する。明らかにトラフィックのエラー率が異常である。よく張り付く
パソコンがエラーをだしまくっているらしい。ふうむ。こんどは
そのパソコンでシステムモニターを実行し,ひたすら張り付くのを待つ。
その結果,張り付く直前にカーネルプロセッサが振り切る事が判明。なんと,
カーネルの暴走か。根が深い。増設ボードかドライバだろう。時間が
無いので今日の調査はここまで。
 急いで別の顧客RGへ。IE3.00のインストールと
ダイアルアップ接続の設定をする。
あーあー,これが営業職のする業務内容だろうか・・・。
(当然営業職なので数値ノルマもあるし,LANアナライズのような
仕事をしても勤務評価はあがらない。あがるのは「何でも屋E君」
の評判だけだ。これはこれで上司からは重宝がられるが,転職には
全然ポイントとならないし,今の会社にずっといる場合でも強みには
さほどならない。その道のエキスパートのほうが強いものだ)
 ということで,そろそろこのコラムのタイトルも
変えた方がいいのだろうか・・・。「E先生の便利屋日記」とか,
「何でも屋Eの丁稚稼業報告書」とか。
 今日もむなしく日が暮れる。あなかしこ。

1997.10.31


27(月) 顧客DAに部下とヘルプに行く。サーバーの設置と既存パソコン5台
  ・プリンタの設定だ。午後行くと泣きそうな顔をしていた。ノートパソコンにLAN
  カードをインストールできないようだ。中にはIRQの重複等で難しい機械があるから
  引っかかっているのだろう。
  それで午前中に何台終了したかときくと,今引っかかっているパソコンが1台目だという。
  ばっきゃろー!そんなん後回しにしてできるパソコンからやっていかんか!
  私はサーバーの設置に取りかかる。サーバーを設置してプリントサーバー2台を設定する。
  LANカードの設定の終わったパソコンから接続してゆく。ネットワークプリンタを
  アサインする。もう遅かったので「後は後日自分でしなさい」と部下に指示して,
  実際に顧客各員の机までケーブルを引こうとしたが,部下の選んだ5mケーブル
  では届かない。やれやれ。
  帰社後,その部下と10mケーブルを自作する。その後WIN3.1用のNetware
  クライアント設定の方法を部下に教える(1台だけ3.1がある)。わい,教師みたい。
  自分の仕事できん。
28(火) 1日打ち合わせ。仕事できん。
29(水) 午前中ようやく仕事をしようとするが,最近発足した社内のオフィ
  ス委員会の仕事をする。月曜に第1回目の説明があったのだが,上記のように参加
  できなかったので,代理の部下から報告を受ける。げえ,電話の台数とかフロアの
  必要スペースとかの調査/報告をする雑作業じゃねーか。なにー,報告締め切り来週末!?
  やめんかー。仕方ないから私の課と隣の課の課長にヒアリングをし,電話の台数をきめ
  部長に報告する。とたんに部長に「おまえの課と隣の課との間に,電話の必要性の認識の
  ずれがある。部として統一してくれ」としかられる。そんなん俺にいうなー。
  部の統一性は部長がする仕事やろー。午後,部下のミスを誤りに課長と客先に訪問。やれやれ。
30(木) 顧客Zに訪問。既存パソコンに先週サーバーを増設したのだが,とたんに
  パソコンがはりつきまくるらしい。パソコンの設定を見るが不明。後日再訪の約束。
31(金) 午前中事務作業。午後昨日の調査。しゃーないから社内から
  LANアナライザーマシン「スニファー」を借りてくる。操作を練習する。客先でネット
  ワークのトラフィック調査をするのだ。なんでこんなことまで・・・。

1997.10.23


・午前中部下C(女性)が担当している顧客用サーバーのインストールをてつだう。
  月曜に設置なのだが,UPSとかサーバーとか男手がいるので同行する。というか
  Netwareを知らない部下なので,私が行かないとLANができない
  (クライアントパソコンは既設のものにLANボードをいれてつなぐ)。
  「1日でできるんでしょうか? パソコン5台あるしプリンタ3だいあるし・・・」
  というので,
  「サーバー設定・プリントサーバー設定はやるから,クライアントパソコンにLAN
    ボード入れてクライアントパソコンのネットワーク設定頼むぞ」と答えると,
  「私やったことないから・・・」。
  やれやれ1日では終わらないだろう。

・午後顧客KWでWIN95,OFFICE97,VB4のインストール。

1997.10.16


@午前中IT顧客に行って,プリントサーバーINTEL NETPORTの設置。
  W95からNETBEUIでの直接印刷だ。
  ・いきなり認識しない
    付属ソフトで見ても,プリントサーバーが全く見えない。設定できんではないか。
    奮闘1時間,付属ソフトのあるパラメーターを変更することにより
    解決。マニュアルのどこにかいてあんねん。
  ・印刷できない
    プリンタードライバーをいれて,マニュアル通りにプリンターのPORT
    をNETPORTにアサインする。テスト印刷してみる。
     待てど暮らせどプリンターは動かない。プリントマネージャーを見ると
    印刷ジョブが残っている。なぜかプリンターが”停止”状態になっている。
  ・さわれない
    とりあえず印刷ジョブを消そうとすると,”権限がありません”と
    怒られる。権限って,これわいが印刷したデータやねんけど・・・,
    とぶぜんとする。うまくネットワークプリンタとしてアサインできてないのか
    と,「ネットワーク」のなかでプリントサーバーのプロパティを開こうとすると,
    ”リモートの要求には応えられません」としかられる。ここで
    E氏の堪忍袋の緒がぶちい!と音をたてた。ふざけんな,INTEL!
    なんなのだ,これは,15年前はZ80のザイログ社より評判悪かったくせして,
    また私に松田優作になれと言うのか!!! と怒る。後日出直し。
A午後fs顧客にいって,ノートパソコンにSCSIカードを増設する。ドライバを
 更新して再起動すると,いきなりオープニングで”予期せぬエラーが・・・”と
 真っ黒な画面になる。ざけんなよ,I/Oデータ社のSCSIカードめ!
  調べるとドライバインストールが中途半端になっており,ディスプレイドライバが
 壊れていることが判明。くみこみなおし,障害は直った。そーゆやハードウェア
  ウィザード がいやに早くしゅうりょうしたなあ・・・と思っていたのだ。なあんだ
,W95が わるいのか。はっはっは。・・・ざざざ,ざけえええええんな,ビルゲイツめ!
 きさん,わいの貴重な青春を返せ!!!
B夕方kiis顧客に行って,先方のNetwareサーバーにBTRIEVEのインストール。
 いきなりNetwareが”HALT!”しやがって,おまけにAUTOEXEC.NCFファイルを
 みちつれにしやがって,顧客のサーバーをこわしたやんけ。なんか呪われた1日だ。
 明日復旧にいく。

 ・・・力無く帰社したら,机の上に部下Cのメモがある。
 「Netwareを注文したいがFAX番号教えて下さい」
 ・・・。FAXオーダーの中に書いてあるだろうが!販売店に注文するんだ!
 よみゃあわかるだろうが!わからんかったら販売店に聞け!!わいにいちいちき
くんじゃあ ねえ!!!!!!!

 ・・・。他の数々のメモ。いろんな顧客からの電話メモだ。あいかわらず
 内容を聞いてくれてない(内容を聞くと自分が応対しなければならなくなるので,
 聞きたくないのはわかるし,私も部下宛の電話をうけたらそうする。)しかし
  わいは上司やぞ! 何でわいがいちいち顧客からのくだらん質問にこたえにゃ
  いかんのだ!

 あーもうつかれた。助けてくれ!

1997.10.8


午前中顧客のパソコンにWINDOWS95アップグレード導入。
午後別の顧客にWINDOWS95導入とOFFICE97導入。
しょーもない仕事。ねむかったわい。そーいえばOFFICE97は
フルインストールで230MBも喰うのだ。すんげー。インストール中
暇なので,ソフマップの出している雑誌をみてたら中古パソコンの
買い取り価格がでていた。MZ2000が8000円だったので
まだ買う客おるんかいな,と驚く。PC8001とか6001とか8800とか
FM7とかBASIC MASTERとか懐かしの名器がずらりと各8000円ぐ
らいの買い取り価格ででていた。マニアもおるんやねー。
 夕方顧客から部下に電話有り。CDROMを見ようとして(顧客のパソコンは古くて
CDROM装置がないにもかかわらず),5インチFDデッキにねじ込んで,とれ
なくなったとのこと。死ね。
 時間後上期の自己目標報告書(ボーナス査定にひびく)を作成。作文は苦手だ。
 そういう下っ端ぴかぴか1年生のような仕事しかしなかった1日であった。眠い。

1997.10.7


1.先週木金と東北(仙台)へ出張。在阪の顧客Aと同行。
  空港の手荷物チェックはやはりイヤだ。不幸な思い出がよぎる。
 いまでも思い出すだにS風にいうと
 「ふ,ふ,ふ,ふざけえええええええええんな」
 という心境になる。ゆるせん女検査官だった。T風にいうと
 「させろさせろさせろさせろ」となるであらう。ならんか。
 伊丹から仙台行き全日空B767で仙台まで1時間。都会の地べたの
 喧噪を逃れ,ふと窓の外を見るE氏・・・。
 「この上を何度飛んだのだろう・・・。
       −−−地中海上空6000m−−− 」
 と太平洋上空で回想するのであった。むなしいのであった。
 もちろん「殺してやる殺してやる」とクフィールK2がくることもなく,
 無事仙台空港に昼前に到着した。
  現地で顧客Bと合流し,午後打ち合わせ。夜宴会。
 顧客A氏の「仙台はホテルが空いてるから予約なしで大丈夫!」と強い
 信念で望んだ割にはNTTタウンページ中のホテルが「満室」(当日
 学会があったらしい)とすげなく返答し,私と顧客A氏の信頼関係
 に2mm位ひびが入ったのは想像に難くない。
  結局2人でビシネスホテルみたいなラブホテルに宿泊する。
 もちろん部屋は別々だ。ちゃんと鍵をかけて寝たのでSのように
 深夜いきなり「***が逆流する気分」には遭遇しなかった。そのかわり
 朝起きたら床で背広のまま寝てた。べろべろだった。

2.昨日グループのNetwareサーバー(25ユーザーのくせにメモリをけっちって
 48MBしか積まず,ディスクを5GBも積んですでにCDROMもマウント
 できないけなげなヤツ)にBTRIEVEの新製品(エージーテック社のBTRIEVE)
 を導入していた。何で係長のわいがせんなあかんねん・・・とぶつぶついいなが
  らテストを実行すると,すんなりと正常動作した。えらい,エージーテック!
  とおもいつつ,アンロードすると突然サーバーが”ピッ”と可愛く音を鳴らして
  ダウンした。ばりばりの業務時間中で,みんながクライアントパソコンで編集中の
  ソフトも道連れになったので,部屋中 しーんとした。すまんすまん,とごにょごにょ
  と謝って,サーバーを再起動して再びテストを続行する。いろいろやる。
  ちゃんと動作する。大きな処理を走らせてサーバーに負荷をかけてみる。問題なし。
  30分ぐらいしてテスト終了。BTRIEVEをアンロードする。
 そのとき”ピッ”とかわゆい音色がして再びサーバーがダウンし,私とエージーテック
  の短い蜜月時代も終焉を迎えた。あほかあほかエージーテックめ。何じゃこれは。
  またまた私を 松田優作にしたいのか。
 2回もサーバーを落とされ,あまつさえ編集中のデータをとばされたグループ員の怒り
  は結構シリアスにすざまじく,派遣社員でさえ私の背中越しにぶつぶつ文句を言うの
  であった。
 そいつがあんまりしつこく文句をつぶやいているのでさすがに温厚なE氏も
 切れてしまい,「誰に口きいてんのや!?」と,はっきりと言う勇気がなかった
  ので心でつぶやき,表面上は穏やかに「すいませんすいませんもうしません」と
  謝ってしまうのであった。わしだって 泣きたいわい。
  そういえば昔サーバーの稼働中に何かの八つ当たりにサーバー本体をかなり
  強烈に蹴ったらサーバーがダウンしてしまったことがあった。このときも私が
  サーバーにけりを入れたのを 全員が知っていたので白い目でみられた。
  結局3回目のサーバーダウンを起こすと命がなさそうなので,仕方なく顧客A氏に
  泣きついてA氏のとこに行ってテストを完了した。情けないわい。
  だいたいグループ員がネットワークのネの字も知らない黎明期に,稟議を作ってやれ
  高いだのやれどんな効果があるんだのとやかく言われながらも土日に1人セットアップ
  して本番稼働したはいいが
 「つながらんぞー」といわれればとんでいってケーブルが抜けてるのを優しく諭し,
  「はりついたぞ」といわれればとんでいってビルゲイツの代わりに怒られ,
  「サーバーが落ちたぞどうすんねん」と日曜に自宅に電話がかかってくれば優しく操作を
    教えてきたのだ。
  わいの立つ瀬はどこにあるねん。そのうちスーパーバイザー権限でデータけしちゃる
  けんね,サルベージきかんようにしちゃるけんね,
  わいはわいは・・・と枕を涙で濡らすのであった。

1997.9.30


いきなり30分遅刻。あーあ。

火曜日は午前中課のMT(ミーティング)および係りのMTがある。
午後もシステムその2の打ち合わせがあり,1日中打ち合わせで仕事にならない。
(ちなみに月曜日は午前中システム1の打ち合わせ,午後顧客との定例会議があり
これも仕事にならない。というわけで営業なのに水曜にならないと活動できない。
松田優作ばりに「なんじゃ,こりゃ!」とひとりぐちってしまうのである)
午後のシステム2の打ち合わせに飽きて,途中で「客先に行きます」と
外出する。
 客先でシステムの設定。この客先は最近Netwareサーバーを買ってくれて
C/S(クライアントサーバー)でシステムを運用中だ。請求も9月であがるので
ようやく落ち着いた。
ただ気になるのは,その顧客にかってもらった100BASEアップグレードのHUBと
バックアップのテープ装置が私の机の下になぜかまだある,というてんだ。
ははは。でも気にするな。「システム運用が落ち着いてから,LAN高速化を
はかりましょう」ということにしているのだ。そろそろ導入しないと・・・と
おもいつつ,いざ本番運用がうまくいってしまうとなかなかサーバーを停止
できなくなっている。心を鬼にしてサーバーを止めに行こう。

 19時帰社後,馬鹿のようにたまった回覧を殆ど見ずに回す。ついで9月分の
部下の勤務記録表のチェック。「こんな仕事いやじゃのう・・・」とみていると,
部下4が記入ミスをしている。破ったろか!と一瞬思ったが,温厚な私は
付箋を貼ってつきかえすことにする。
 それが終わってから上期決算用資料作成。あほらしい。あっちの数字をこっちに
やって,たらない数字を机上でやりくりする(別に不正では無いぞ)。ほんとにイ
ヤイヤ。わいは数字きらいやねん。この前も損益分岐計算を筆算でしようとして,
2次方程式(中1れべる)をとこうとしたがわからなかったので部下2にきいたら
すごく軽蔑された。
 それも終わって新システム(VB)の修正とテスト。わいは何でも屋なのだ。
 その後機器保守契約書作成。悲しいわい。「部下はどこじゃ・・・」とみたら
女性などはあっというまにいないのであった。(というかそういう時間に帰れるの
がふつうなのだが・・・)。
 明日はサーバーの組立。及び別の顧客にパソコンの設置訪問。いったい会社は私の
キャリアパスをどう思っているのだろう。

Copyright © 1998-2002 E

BACK   HOME