Everyday I'm looking for a rainbow. |
さつきの咲く頃 | EPISODE:12 2005.2.28 | |||||||||
その真意をただそうと、意識をさつきの方に向けた時には、すでに体が動いていた。 座っていた椅子をさつきの方に蹴り飛ばし、その勢いで後方に飛びのく。 志貴の前髪のほんの数センチ前を、何か鋭いものが掠めた。 ―――ドクン! 志貴の鼓動が一層高く跳ね上がり、その手は無意識のうちに、そっと眼鏡はずしていた。
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グシャッと、つい何秒か前に志貴の座っていた椅子は、黒板にぶつかって、ひしゃげてしまった。 ただ放り投げられただけなら、椅子は勢い良く跳ね返ってきただろう。 だが、椅子は跳ね返らなかった。それどころか、原型をとどめていなかった。 「あはは、凄い、凄いよ遠野君」 さつきがおかしそうに笑った。 「弓塚っ!」 「遠野くんなら避けると思っていたけど、まさかかすりもしないとは思わなかったよ」 そう言うと、さつきはいびつな笑みを顔にはりつけたまま、一歩、また一歩と、志貴に近づいてきた。 志貴は、眼鏡を外したことによる頭痛に悩まされながらも、決して間合いを詰められないよう、少しずつ後ずさっていく。 ―――くっ、マズイか、これは。 机の間を縫うように、志貴はその位置を変えていく。 だが、さつきは、まるで埃を払うかのように、邪魔な椅子や机をなぎ払って、志貴との間合いを詰めようとする。 もちろん、志貴も机を走る『死』をなぞれば、机など簡単に『殺す』ことができる。 だが、ほんの一瞬でもさつきから意識を離せば、彼女は後悔する間もなく、自分を狩るだろう。 ただの死徒ではない。 自らの意思を失わず、人ではない力を手に入れたさつきは、例え志貴であっても、決して楽な相手ではない。 それがこうも簡単に間合いを開けていられるのは、単に彼女が戦いに不慣れだからである。 ―――だが、このままだと負ける。 志貴にはそれがはっきりとわかった。 さつきの最初の一撃を避けてから、二人はお互いの間合いに入れずにいる。 つまり、それは持久戦になっているということだ。 もともと志貴は、体力に自信がある方ではない。 例え自信があったとしても、人間と死徒では、体力など比べるべくもない。 それが、消耗戦になってしまえば、おのずと結果は見えている。 それだけではない。 志貴の手にある七夜のナイフ。 その殺傷能力は決して低くはない。が、ナイフは近接戦の武器である。 つまり、志貴はさつきの懐に入らない限り、攻撃ができないのだ。 志貴がさつきの懐に入るには、相手の間合いの外から、一瞬の隙をつき、瞬時に間合いを詰める必要がある。 だが、瞬時に間合いを詰めるには、教室というのは極めて難しい場所であった。 それもそのはず。 今、志貴がさつきとの間合いを取れているのは、雑然と並んだ机と椅子のおかげである。 一方で、その机と椅子が邪魔になり、志貴が瞬時に間合いを詰めるのは、非常に難しかった。 そんな志貴の苛立ちをよそに、さつきは子供のように、ただ単純に机をなぎ払いながら、志貴に近づいていった。 きっかけは単純だった。 さつきの払いのけた椅子が、志貴の脇をかすめて、後ろにあった窓ガラスにぶち当たった。 すると、割れたガラスの破片が、凶器となって志貴を襲った。 「くっ!」 志貴は難なくガラスの破片をかわしたものの、わずかだが、足が止まってしまった。 さつきはそれを見逃さず、軽くステップを踏んだだけで、一気に志貴との間合いを詰めてきた。 シュン! それを振り払うかのように、志貴のナイフが閃いた。 だが、さつきは天井から下がる蛍光灯に片手をかけてスピードを殺しそれをかわすと、右腕をまるで死神の鎌のように振り下ろした。 しかし、志貴はわざと後ろに体を倒し、その腕をやり過ごした。 そして、倒れる勢いのまま、残った左足を振りぬいた。 ドカッ! ガシャッ!!! さつきは受身を取ることもなく、教室の後ろのロッカーに叩き付けられた。 ―――今のうちに! 志貴は弾みをつけて一気に体を起こすと、動きの取れない教室を出ようと、前の扉へ走った。 一方、その程度の攻撃ではほとんどダメージの無いさつきも、簡単に体制を立て直す。 そして、志貴を逃がすまいと瞬時に前の扉へ向かう。 「チッ!」 志貴は、小さく舌打ちした。 一歩、足りなかった。 先に扉にたどり着いたのは、さつき。 志貴は間に合わないことを悟ると、さっと間合いを取り、教卓の前でナイフを構えた。 「ひどいなあ、遠野君。女の子を蹴飛ばすなんて」 「・・・」 「それに、もっとひどいことしてる。なんで、なんで私を殺してくれないの!」 そして再び、さつきは間合いを詰めて、その腕を振るった。 その攻撃は、まるで子供が闇雲にだだをこねているようにデタラメだが、志貴はなんとかそれをかわして、反撃のチャンスを伺っていた。 しかし、なかなかそのチャンスは訪れない。 なぜなら、さつきの攻撃が鋭く、例え体に触れなくとも、その腕を振るわれた軌跡がかまいたちとなって、志貴の皮膚を切り裂いているほどだったからだ。 また、攻撃は単調であっても、その速さは人間のものではない。 志貴はただ紙一重で攻撃をかわすしか無かった。 ―――ズキン ―――ズキン ―――ズキン 時が経つにつれ、志貴の視界からは、生きた世界が消えていった。 ―――ズキン ―――ズキン ―――ズキン やがて、世界は点と線だけとなり、自然と志貴のナイフは、そこに引き寄せられていく。 キュッー! 耳障りな音が、教室に響いた。 偶然、さつきの爪が、黒板をかすめたのだ。 思わずさつきが顔をしかめ、その腕を止めた。 ―――ドクンッ! それは、待ちに待ったチャンスだった。 ただその機会だけを狙っていたシキは、本能が命ずるまま、目の前にある点に向かってナイフを・・・ キラリと。 月が、何かに反射した。 それは、小さな雫。 さつきの瞳に浮かぶ、小さな、小さな雫。 ―――――――だからまたわたしがピンチになっちゃったら、その時だって助けてくれるよね 背筋に氷を突き立てられたかのように、一瞬で熱が冷めた。 「くそっ!」 どうにか、ナイフを持った腕を止めた。 だが、これではらちがあかない。 志貴はナイフを持たない左手で、黒板の下にあった黒板消しを掴むと、思い切り黒板に叩きつけた。 ボフッと、使いおろされた黒板消しは溜まったものを一気に吐き出すかのように、盛大にチョークの粉を撒き散らした。 視界をさえぎられ、さつきは思わずむせてしまう。 その隙に、志貴はさつきの脇をすり抜けて、前の扉から一気に廊下へと転がり出た。 距離にして10メートル。 何の障害物も無い廊下。 そこで、二人は向き合った。 「ねえ、遠野君。遠野君は、私がピンチになったら助けてくれるんだよね」 「・・・ああ」 「約束、守ってくれると嬉しいな」 「・・・」 「私ね、もう、人まで殺しちゃってるんだよ」 「・・・知ってる」 「もう、自分でも止められないんだ」 「・・・」 「だから、遠野君に、助けてほしい」 ―――それが、救いになるのなら。 志貴にも、限界が近づいていた。 頭痛は激しさを増し、視界も極端に狭まっている。 これ以上は、続けられそうに無い。 体制を低くし、一旦後ろ足に重心をかける。 それを見たさつきも、涙をぬぐい、足に力を込める。 そして、何の合図も無く、言葉が無くてもわかりあった恋人のように、二人は駆け出した。 間合いが詰まる。 残り・・・ 五歩。 三歩。 一歩。 間合いが消える。 お互いの腕に力がこもる。 鋭い爪と、鋭利なナイフ。 それがまさに交差する瞬間、廊下の窓から二つの影が飛び出した。 |
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