Everyday I'm looking for a rainbow. |
さつきの咲く頃 | EPISODE:11 2005.1.16 | |||||||||
そこに、彼女はいた。 人でない、彼女はいた。 交差点。 真っ直ぐ進むと、遠野の屋敷。曲がると、彼女の家。 その道が交わるところ。 「ここに来れば、また会えると思っていたよ」 弾むような彼女の声が、澄んだ空気に響いた。 「・・・ああ、そうだね」 答える声に、喜びは感じられない。 「話したいことがあるんだ」 「ええ、私も。でも、立ち話はちょっと・・・」 「そうだね。場所を移そうか」 そう言って、彼と彼女は月を背に、歩き始めた。
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ガラッと、ドアが不機嫌そうな音をたてた。 「あ〜ん、そっとやったのに。大丈夫かなあ」 「大丈夫だって。そのぐらいなら、宿直の部屋までは響かないよ。でも、電気付けると見つかっちゃうから、気をつけて」 「うん」 小さくうなずくと、さつきは足を忍ばせて、教室に忍び込んだ。 志貴も続いて教室に入り、今度は慎重に音を立てずに、戸を閉めた。 「ふぅ、もう大丈夫だよ、弓塚さん」 「あはは、スリル満点だったね」 さつきは屈託なく笑った。 その笑顔は明るく、三日月が差し込むだけの薄暗い教室には、本当に不似合いなものだった。 ―――なんでっ!なんで彼女がっ! さつきに悲壮感は全く感じられない。 それが一層胸を苛み、志貴は唇をかみしめた。 「大丈夫、遠野くん。今日も体調悪いの?」 「え、あい、いや・・・」 答えに窮する志貴。本当は自分こそが、彼女に手を差し伸べてやらなければならない。 だが、現実はどうだろう。 ―――落ち着いて、よく考えろ。今の自分にできることは何かを。 志貴は余計なものを振り払うように軽く首を振り、なんとか苦笑いを浮かべた。 「大丈夫。夜の校舎に忍び込むなんて初めてだから、ちょっと緊張したのかも」 「ごめんね、無理言っちゃって。でも、どうしてもここに来たかったの」 「いいって。それにしても、いつも来ている所なのに、昼と夜というだけで、随分と感じが違うんだね」 そう言って、志貴は自分の席についた。 普段なら常に喧騒につつまれていて、静寂とは無縁の場所だと思っていた。 それが、教室を出てから半日もたたない内に、別世界となっている。 「そうだね。なんか信じられないぐらいに違うよね」 つられるように、さつきは志貴の隣の席に座った。 「私ね、今日がいつまでも続くんだと思っていた」 首をかしげる志貴に、さつきは軽く笑いかけた。 「朝、お母さんに起こされて学校に行って、学校では沢山の友達とたわいのないおしゃべりをして、苦手な授業を受けて、そして家族で夕飯を食べる。そんな当たり前の毎日が、ずっと続いていくもんだと思ってた」 志貴は答えない。いや、答えられない。 「当たり前が当たり前に続いていくこと。それがこんなにも楽しかったなんて、思いもよらなかった」 もうさつきに、『当たり前が当たり前に続いていくこと』は決してない。 それがわかってしまっているから。 「良くね、わたし、自分の席から遠野君の寝顔を見ていたんだよ」 「えっ!」 「あはは、気づかなかった?」 さつきは志貴にいたずらっぽい目を向けた。 志貴は急な展開についていけず、一瞬呆けたような顔をしたあと、赤くなってしまった。 それを見て、さつきはおかしそうに笑った。 「それはちょっと恥ずかしいんだけど」 そう言って、志貴は思わず苦笑いを浮かべた。 「そういうことじゃないんだけど。やっぱり、遠野君はみんなが言うとおり、にぶちんだね」 さつきは口元に笑みを浮かべたまま、ちょっとだけ恨めしそうな目を向けた。 志貴はなんのことかわからず、きょとんとしてしまった。 「まあ、それが遠野くんの良い所でもあるんだけど」 そして、さつきは寂しそうに、小さくため息をついた。 それからさつきは、話をそらすかのように、今までこの教室でどんなに楽しいことがあったのかを語り始めた。 「へえ、そんな事があったんだ」 「その時は大騒ぎだったんだけど、遠野君はいつものように寝ていて、ちょっとびっくりしたよ」 自分がいかに回りに溶け込んでいなかったのかを今更ながらに思い知らされて、志貴はひきつったような笑みを浮かべていた。 反対に、さつきは想像もしていなかった志貴と二人きりの時間を過ごすことができて、彼女の友達も見た事がないほどの、素直な笑顔を浮かべていた。 だが、それも結局、長くは続かなかった。 「・・・弓塚さん?」 なあに?と笑って返すさつき。 だが、その顔は教室に来たときよりも、幾分か暗い影を落としている。 月は相変わらず鈍い光のままだが、決してその明るさは変わっていない。 ―――ドクン 志貴の指が、小さく震えた。 さつきはそれを見逃さなかった。 「あはは、遠野君は変なところで鋭いんだから」 わかっていた。 ふたりとも、わかっていた。 今が、仮初の時であることを。 最初で最後の、しかし永遠に忘れられないときであることを。 ―――ドクン ―――ドクン ―――ドクン 志貴の呼吸が早くなる。 それに呼応するように、さつきの瞳が、ゆっくりと朱に染まる。 ―――ドクン ―――ドクン ―――ドクン ―――ドクン ―――ドクン 手に汗がにじむ。 喉が渇く。 少しずつ、本能が、眠ったものが目を覚まそうと動き出す。 「ねえ、遠野君。最後にお願い。あのね、私のことは、忘れちゃっていいから」 「な・・・に?」 「でもね、私を忘れたことは、忘れないでいてくれると嬉しいな」 その真意をただそうと、意識をさつきの方に向けた時には、すでに体が動いていた。 座っていた椅子をさつきの方に蹴り飛ばし、その勢いで後方に飛びのく。 志貴の前髪のほんの数センチ前を、何か鋭いものが掠めた。 ―――ドクン! 志貴の鼓動が一層高く跳ね上がり、その手は無意識のうちに、そっと眼鏡はずしていた。 |
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