Everyday I'm looking for a rainbow.
虹がおりる丘 EPISODE:2-03 2004.04.06


視線をそっと目配せしたほうに向けると・・・メアリーが拳を握っていた。

何気に腕がプルプルと震えている。

相変わらず前髪に隠れて、その視線は伺えないが、おそらくその先にはエレノアがいるのだろう。

(・・・本当に平穏な生活が送れるのかなあ。)

俺の耳には、シスター・フローレンスの笑い声が響いている気がしてならなかった。





虹がおりる丘
- EPISODE:2-03 -






「今日の予定は何かございますか?」

のんびりとお茶を飲んでいる俺に、キャロラインが尋ねてきた。

エレノアとメアリーはキッチンで片付けの真っ最中。

あれからエレノアが自分たちの簡単な朝食を作り、あっという間にきれいに片付けてしまった。

その手際の良さにはかなり驚かされたが、エレノアの「教会じゃ毎日大勢の面倒を見ていたからね」という言葉に納得してしまった。

環境が人を育てるというのも、あながち間違いではないのだろう。

気がかりといえば、片づけを手伝おうとしたキャロラインを、エレノアとメアリーが必死に止めていたことぐらいか。

片付けぐらい皆でやってもと思ったのだが、そんな事を言わせない鬼気迫る雰囲気があった。

「ご主人様?」

「あ、ごめんごめん。今日の予定だね」

「ええ。何かお手伝いできることがあるとよいのですが」

「う〜ん、今日は翻訳の仕事をしてしまおうかと思っているんだけど」

「何の翻訳ですか?」

「観光ガイド、かな」

実際には、パンフレットのやや立派なものといった風情のものだ。

頼んできたのは、都市の鉄道会社。

産業革命の目玉の一つに、蒸気機関を載せた鉄道の発達がある。

鉄道の発達により今までの馬車による移動とは比べ物にならないぐらい、容易に長距離を移動できるようになった。

国を跨ぐ鉄道の利用客の多くは、各国の富裕層である。

その目的は、国を超えた観光、バカンスといったところ。

富裕層がどんどん鉄道に乗りこの国の都市に足を運ぶことになれば、富裕層向けの新たな観光業が盛んとなり、国全体が活気付くはず。

そんな目論見で鉄道会社が作ったこの国の紹介のガイドを、自分の故郷の国の言葉に訳す。そんな仕事だった。

「これもシスターの紹介ですか?」

「ああ。一体あの人はどこからこういった仕事を持ってくるんだろうね」

「さあ。正直なところ、私たちでもシスターについてはわからない事が多すぎますから」

そう言って、キャロラインは苦笑する。

つられるように、俺も苦笑いを浮かべていた。





〜 〜 〜 〜 〜






「それじゃあ、私は書斎でご主人様の仕事のお手伝い。メイは洗濯と、昨日しきれなかったお部屋の掃除。エリーは厨房まわりの整理と、食事の準備。それでいいかしら」

「まあ、そんなところかしら」

そう言ってエレノアはうなずいた。メアリーも軽くうなずく。

「じゃあ、お昼になったら呼ぶからね!」

そんなエレノアの掛け声で、皆は席を立ち、思い思いの場所に散っていく。

俺はキャロラインを伴い、書斎に入っていった。





書斎。

文字通り、書物に囲まれた部屋。

「勤勉でいらっしゃいますのね」

そんな部屋を見渡しながら、キャロラインが声をかけてくる。

「そんなことはないよ。ここにある本は、飾りみたいなものさ。よく見るとわかると思うけど、そんな難しい本ばかりじゃない。それに、全部スミからスミまで目を通しているわけでもないしね」

そう言って苦笑する。

この部屋は、単に落ち着いた雰囲気を出すために本を飾っているようなもの。

「確かに、よく見ると統一感はあまりありませんね」

「適当に並べているだけだからね」

部屋の奥にある椅子に腰をおろす。

ややくたびれてはいるが、どっしりとした木の机と椅子。

もともとこの屋敷に残っていたものを、気に入って使っている。

「そういえば、ここには机と椅子が1つしかないな。隣の部屋から椅子ぐらいは持って来ようか」

「そうですわね。では、椅子を取ってまいりますので、ご主人様は仕事を始めていて頂けますか」

「ああ、そうさせてもらうよ」

部屋を出て行くキャロラインの後姿を見ながら、ふと浮かんだ想いに苦笑した。

(ご主人様、って柄のものは、この机と椅子だけだろうな。)





〜 〜 〜 〜 〜






原本となるガイドを左手に置き、右手でペンを走らせる。

まだ故郷の文字が使えるタイプライターは存在しない。

そのため、ひたすら手で訳文を記述していく。

訳し終わったものをキャロラインに渡す。

それをキャロラインが丁寧にファイリングしていく。

簡単だが、ミスが許されない地道な作業だ。

いつもなら面倒に感じるこの仕事だが、何故だか今日はそういう感じがしなかった。





1時間も経っただろうか。

ペンを置き、軽く首を回す。

それを見てキャロラインも手を休める。

「お茶でもお持ちしましょうか?」

「そうだね。頼むよ」

「かしこまりました」

キャロラインは律儀に頭を下げ、部屋を出て行った。

(こんな仕事は一人でコツコツやったほうがはかどると思っていたんだけどな・・・)

元々集中する時は独りでこもることが多かった。

それがどうだろうか、キャロラインと一緒にいても集中が途切れるどころか、仕事がいつもよりはかどっている。

「こういうのもシスターの言う、人の好き嫌いになるのだろうか・・・」

そうつぶやいている内に、廊下から少し言い争うような声が聞こえてきた。

耳をそばだててみると、どうやらキャロラインとエレノアのようだ。

『お茶を運ぶぐらい、私にも出来るって言ってるじゃない。』

『ダ〜メ。キャリーには料理に関するもの一切任せられません!』

『料理って・・・お茶を運ぶだけでしょう?』

『いいからいいから。』

そして、コンコンとノックの音がして、扉が開いた。

「お茶をお持ちしました」

そこには笑顔のエレノアと、ちょっと困った顔のキャロライン。

「あ、ああ。ありがとう」

「いえいえ、お安い御用です」

そう言うと、エレノアは俺の机に1つ、キャロラインが使っている机に2つのカップを置いた。

「あれ?キャロラインは2つ?」

「あー!ひどーい。私は駄目なんですか?」

エレノアはそう言って口を尖らせている。

「あ、いや、そういう訳じゃなくってね」

「じゃあどういう訳なんですか」

「エリー、その辺にしておきなさい」

キャロラインが軽くたしなめる。

エレノアも本気で拗ねているわけではないのだろう。

口元に笑みを浮かべたまま、はーいと返事をした。





やがて短い休憩は終わり、エレノアがカップを片付けて出て行った。

キャロラインが扉を閉め、席に着く。

「それじゃあ、もうひとがんばりしようか」

「ええ」

俺は再びペンを取り、左手のパンフレットに目を向けようとした。

「そうそう、ご主人様」

ふっと目線だけキャロラインに向ける。

「最初に言ったじゃありませんか。私のことはキャリーとお呼び下さいって」

「ああ、そうだったね。次から気をつけるよ」

俺は苦笑して目線をパンフレットに戻し、仕事を始めようとした。

「それから、ご主人様・・・」

再び目線だけをキャロラインに向けると、落ち着き無くそわそわした様子でいる。

どうしたのか問いかけようとすると、意を決したようにキャロラインは切り出した。

「できれば仕事の合間は二人だけでお茶を飲みたいと思っていますので」

一息でそう言うと、キャロラインは顔を伏せ、わざとらしく手を動かし始めた。

思わず、笑いがこみ上げてきた。

今までの仕事振りからキャロラインをすっかり大人だと思っていたのだが、よくよく考えてみればまだまだ少女と言ってもよい歳なのだ。

ずっと顔を上げない彼女に歳相応の可愛らしさを垣間見て、なんとなくうれしく思った。

「ああ、次からはそうしようか」

「ハイ」

相変わらずキャロラインは顔を上げようとしない。

ただ、その口元には、抑えきれないかすかな笑みが浮かんでいた。



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