Everyday I'm looking for a rainbow. |
さつきの咲く頃 | EPISODE:08 2003.09.12 | |||||||||
「志貴さんの顔色は日に日に悪くなっているわ。今でこそ気丈に振舞っているけど、いつまでも誤魔化すことなんてできやしない。志貴さんの体は、まだ普通の日常生活を送るので精一杯なことぐらい、翡翠ちゃんにもわかっているのでしょう?」 それを聞いて、翡翠はうつむいてしまった。 琥珀はそこで再び表情を緩め、翡翠の手を取った。 「ねえ、翡翠ちゃん。翡翠ちゃんの主人は、志貴さんでしょう。主人を助けるのが、翡翠ちゃん、あなたのやるべきことなんじゃなくて?」 それを聞いて、翡翠は弾かれたように顔を上げる。 琥珀はそれににっこりと笑いかけた。 翡翠は大きくうなずくと、意を決して、ちょうど一週間前の夜の出来事を、琥珀に話し始めた。
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ぼんやりと夜空を見上げる。 そこには、満月が一つ。 まるで、月そのものが光を放っているかのように、煌々と輝いていた。 「きれいな月だなあ・・・」 志貴は、魅入られたかのように、ぼんやりと月を眺めていた。 夕食後、ベッドに入ってから、既に3時間が経過している。 時計は1時を少し回ったところ。 窓の外の喧騒は既に無く、窓枠に切り取られた満月だけが、1枚の絵画のように映っていた。 「・・・」 志貴は、弓塚さつきの事を考えていた。 有彦以外に友達らしい友達もいないクラスの中で、自分に話し掛けて来た数少ない存在。 屈託のない明るさを持った少女。 志貴の頭に浮かぶのは、あの日交差点で別れる時に見せた、はにかんだ笑顔。 「ふぅ・・・」 小さくため息をつく。 『ピンチの時は助けてくれるよね。』 その言葉が、なにか呪文のように、志貴の頭にリフレインしていく。 何も考えられなかった。 やがて、何かに引き寄せられるように、彼の意識はゆっくりと眠りの世界に落ちていった。 ・・・ ・・ ・ まぶたの向こうで、何かが揺れている気がする。 冷たい風が頬を凪いでいる。 「・・・?」 ゆっくりと、意識が覚醒していくのがわかる。 そして、目を開ける。 「・・・寝てしまったのか」 志貴は軽く頭を振る。 気がつくと、カーテンが揺れている。 「あれ?」 おまけに窓も開いている。 そこから、少し高さを落とした満月が、驚くほど明るい光を放っていた。 (窓は閉まっていたはず・・・) そう思いながらふと視線を手元に落とすと、不自然な影ができていた。 窓枠とは明らかに違う影の形。 窓が開いているのであれば、月の光を背にして影を作るものはないはず。 (窓際に何かあった?) 視線が影を辿って行く。 「やっと気づいてくれたね」 視線の先には、はにかんだ笑顔があった。 「遠野くんたら、本当に気持ちよさそうに寝てるんだもの。また見とれちゃったよ」 志貴は何か言おうとするが、想いばかりが頭を駆け巡って、声が出ない。 「それに、やっと目を覚ましてくれたと思ったら、窓の外ばかり見てるんだもの。そのまま私に気づいてくれなったら、どうしようかって思っちゃった」 「弓塚、さん・・・」 「あ、ちゃんと私のこと覚えていてくれたんだね。久しぶりだから、忘れられているかもって、ちょっと心配してたんだ。嬉しいな」 「忘れるわけないよ。それに、心配してた。何もわからなかったから」 「心配してくれていたんだ。あはっ、すっごく嬉しいな」 そう言って、さつきは花が咲いたような明るい笑顔を見せた。 つられるように、志貴も口元をほころばせた。 「聞いてもいいかな?」 落ち着きを取り戻した志貴は、ベッドサイドの小さな椅子に腰掛けた。 さつきにも座るように薦めたが、ここでいいからと言って、窓際から離れようとしなかった。 「うん、いいよ。でも、私にもよくわからないんだ」 さつきの表情はあいかわらず明るいまま。 志貴はその明るさに違和感を感じたが、気づかない振りをして話を続けた。 「覚えているところでだけでいい。何があったか話して欲しいんだ」 「うん、わかった」 あっさりそう言って、さつきは表情を変えずに語り始めた。 志貴が夜な夜な街で見掛けられるという噂を聞いたこと。 自分も夜の街を歩いてみたこと。 気がつくと、街外れの小屋に居たこと。 家に帰る途中、不良達に襲われたこと。 しかし、逆に怪我をさせてしまったこと。 それから意識がはっきりしたり、混濁したりを繰り返していること。 「それに、私は変わったんだよ。どう変わったのかはわからないけど、遠野君をとても近くに感じられるようになったんだよ」 そう言ったとき、初めてさつきの視線が泳いだ。 「そう、なんだ」 (嘘はついていない。でも、全てを話しているわけでもない。つまり・・・。) 「遠野くんにはわかるかな。私が変わったこと」 さつきの表情は相変わらず笑顔のまま。 「ごめん、すこしだけしか。でも、ひとつだけはっきりわかったよ」 「え、何?何がわかったの?」 「弓塚さんには、もう自分に何が起こったのかわかっているってことが」 その答えに、さつきはキョトンとした表情を浮かべた。 そして、何かを堪えるように上を向いた。 「やっぱり遠野くんは凄いよ。うん。きっとそうやって、さりげなく色々な人を助けているんだよね」 「えっ?」 志貴が聞き返すより早く、突然さつきが崩れ落ちた。 そして、両手で体を抱くようにして、小さくなった。 「弓塚さんっ!」 志貴は慌てて近寄ろうとしたが、出来なかった。 ドクン。 (なんだ!?) ドクンドクン。 (体が怖がっている?) ドクンドクンドクン。 (いや、喜んでいるのか?) ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン。 血が沸騰する感覚。 視界が反転するほどの、恐ろしい快感。 さつきを助けるために伸ばした手が、無意識に枕もとの棚の引き出しを開ける。 その引き出しの奥の、小さなナイフを求めて。 「くっ!」 頭痛と吐き気と、全ての衝動をこらえ、志貴はその手を止める。 そして、さつきの側に駆け寄った。 「弓塚さん、大丈夫?」 そう言って肩に手をかけ様とした瞬間、さつきが頭を上げた。 視線が合う。 紅い瞳と。 「・・・っ!」 強烈な目眩に、志貴はよろけて、ベッドにしりもちをついてしまった。 逆に、さつきはゆっくりと立ち上がる。 しかし、その両手はいまだ何かをこらえるように、自分の体を掻き抱いている。 「痛いよ、痛い。体が、きしんでいるの」 そう言って、さつきは一歩、志貴に近寄る。 「どうして、どうしてなの?なんで私がっ!」 もう一歩、志貴に近寄る。 志貴は無意識に、開けたままの引き出しから、小さなナイフを掴んだ。 「助けて、遠野くん。タスケテ・・・」 ナイフから刃を出そうとした瞬間、志貴の頭を、再び声がよぎった。 『私がピンチの時は、また助けてくれるよね。』 (そうだ。約束したんだ。) 警告のように波打つ脈動を無理やり押さえつけ、志貴は手を開いた。 音もなく、ナイフは地に落ちた。 「あは、あはは、どうしよう」 口を開けて笑うさつき。 その口からは、人にはありえない大きさの犬歯が覗いていた。 (やはり・・・) 志貴は気がついてしまった。 あの悪夢が、まだ終わっていないことを。 考えうる最悪な事態に、自分が直面していることを。 「ごめんね、遠野くん。ごめん、本当にごめん」 そう言って泣きながら笑顔をうかべるさつき。 気がつくとその顔は、志貴の前にあった。 考えるより先に、手が動いた。 「あっ・・・」 志貴は、さつきをやさしく抱きしめた。 一瞬目を見開いた後、さつきは静かに目を閉じた。 「暖かい。暖かいよ」 「約束しただろ」 「・・・」 「ピンチの時は助けるってさ」 そう言って、志貴は腕に力をこめた。 さつきの震えを止める為に。そして、自らの血の騒ぎを止めるために。 一瞬ビクッと硬直したさつき。 そして、はぁっと、熱い吐息をつく。 「遠野くんは、優し過ぎるんだよ。でも、その優しさに甘えても、いいかな」 志貴は無言でさらに腕に力を込める。 さつきはゆっくりと、志貴の肩口に口を寄せてゆく。 そして、深呼吸をするかのように、口を大きく開ける。 「志貴さん!!!」 バタンという扉を開ける音を追い越すように、声が飛び込んできた。 その声に驚いて、志貴の腕の力が緩む。 その瞬間、さつきは志貴を突き飛ばすように、窓際まで飛びずさった。 「やっぱり、しちゃいけないよ。遠野くんのことが、本当に、本当に大好きだから」 そう言い残すと、さつきは窓から身を躍らせた。 その影が満月と重なり、部屋に一瞬の闇をもたらす。 再び満月の光が部屋に差し込んだ時、もう窓の外にさつきの姿は無かった。 |
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