Everyday I'm looking for a rainbow.
さつきの咲く頃 EPISODE:09 2004.05.03



さつきはゆっくりと、志貴の肩口に口を寄せてゆく。

そして、深呼吸をするかのように、口を大きく開ける。

「志貴さん!!!」

バタンという扉を開ける音を追い越すように、声が飛び込んできた。

その声に驚いて、志貴の腕の力が緩む。

その瞬間、さつきは志貴を突き飛ばすように、窓際まで飛びずさった。

「やっぱり、しちゃいけないよ。遠野くんのことが、本当に、本当に大好きだから」

そう言い残すと、さつきは窓から身を躍らせた。

その影が満月と重なり、部屋に一瞬の闇をもたらす。

再び満月の光が部屋に差し込んだ時、もう窓の外にさつきの姿は無かった。





さつきの咲く頃
- EPISODE:09 -






「おはようございます、志貴様」

「おはよう、翡翠」

変わらぬ朝。

変わらなかった朝。

いつものように志貴は眼鏡をかけ、翡翠に笑顔を向ける。

そんな志貴に、翡翠は少しだけ固い表情を浮かべた。

「着替えはこちらに置いておきます」

そう言って一礼すると、翡翠は部屋を出て行った。

志貴はしばらくベッドから出ずにぼんやりとして、目を閉じた。

そして、一度大きく深呼吸をした。

再び目を開け、力を取り戻すかのように、軽くこぶしを握る。

変わらぬ朝。

変わらなかった朝。

しかし、今日がいつもと変わらない一日であるとは限らない。






「おはようございます、志貴さん」

「おはよう、琥珀さん」

「あらまあ、今日は一段と顔色がよろしく無いですねえ」

台所から出てくるなり、琥珀はそう言って志貴の傍に寄ってきた。

「お熱はどうかしら?」

そう言うなり、前髪をかきあげると、琥珀は自分のおでこを志貴のおでこに合わせようとする。

「ちょ、ちょっと琥珀さん!?」

「病人はじっとしていて下さいね」

思わぬ行動にたじろぐ志貴だが、琥珀は気にせず顔を近づけてゆく。

(ハタから見ると、女の子に無理やりキスされそうとか見えるのかなあ。)

志貴は目を閉じて迫ってくる琥珀の顔を見ながら、ぼんやりとそんな事を思う。

そして、おでこが着くまであと1センチと迫ったところで、ようやく救いの手が差し伸べられた。

「琥珀っ!いいかげんにしなさい!」

「あは〜、残念」

そう言って軽く舌を出すと、琥珀はゆっくりと顔を離した。

そして軽く志貴の額に手を当てる。

「う〜ん、熱は無いようですね」

「そう。わかったからアナタはもう離れなさい」

声の主は、志貴の正面に座る秋葉。

白磁のティーカップを片手に、ゆったりと腰をおろしている。

一見、優雅な朝のティータイムといった感じだが、ティーカップを持つ手は微妙に震えていた。

「まったく、熱なんて体温計を持ってくればすぐわかるでしょうに」

「いや、普通は最初に額に手をやったりするもんだろ?」

「そんな民間療法が充てになりますか!」

「民間療法ってほどでもないけどな」

「兄さんも兄さんです。琥珀ににじり寄られて、鼻の下伸ばしてへらへらしてるんですから」

「にじり寄られてって・・・」

「ともかく!」

そこで一旦言葉を切って、秋葉は刺すような視線を志貴に向けた。

「今日こそは休んでくださいね。いつにも増して顔色が悪いのですから」

そう言い捨てて、秋葉は席を立った。

「琥珀、出かけます!」

そう言うと、秋葉はダイニングを出て行こうとした。

と、出るところで振り返って、再び志貴をにらみ付けた。

その目は『言う事を聞かなかったら、わかっているでしょうね?』と、雄弁に物語っていた。

志貴はお手上げとでも言うかのように、苦笑しながら軽く手を振る。

「わかってるって。行ってらっしゃい」

その言葉を確認してから、秋葉は姿を消した。

その後ろを、カバンを持った翡翠が追いかけて行った。

「あれ?」

その姿を見て、志貴は首をかしげた。

いつもなら、秋葉のカバンを抱えて見送りをするのは、琥珀である。

「志貴さんの朝ご飯の用意をするからと言って、代わって貰ったんですよ」

そう言って、台所から配膳を抱えた琥珀が姿を現した。

「はい、どうぞ。軽めのものですが、栄養はばっちりですから」

「ありがとう」

志貴は両手を合わせて「いただきます」と言うと、お茶碗に手を伸ばした。

そんな志貴を、琥珀は優しい眼差しで、じっと見つめていた。





食べ終わると、琥珀はそっとお茶を出してきた。

志貴はそれを一口飲んで、ふーっと息を吐いた。

琥珀は相変わらず、じっと志貴を見つめたままでいる。

「何も聞かないんだね」

おもむろに、志貴は切り出した。

昨晩、飛び込んできたのは琥珀だった。

翡翠の話を聞いてから、琥珀はいつもより見回りの回数を増やしていた。

その矢先の出来事だった。

呆然とする志貴に、琥珀は何も聞かなかった。

ただ、開け放たれた窓を閉めると、志貴を優しく寝かしつけた。

何か言おうとする志貴に首を振って、そっと肩を抑えて。

それだけで、志貴は深い眠りに落ちていったのだった。

「今は聞きません」

「どうして?」

「無理に聞いても、志貴さんの負担になるだけですから」

琥珀もお茶を一口飲んだ。

「ただ、忘れないで下さいね」

志貴は何がとでも言うように、琥珀に視線を向ける。

「言いたくなったら、何でも言ってください。私にでも、翡翠ちゃんにでも、秋葉様にでも。志貴さんはいつも自分で抱え込んでしまって。ご自分では私達に心配させまいと思っているんでしょうけど、志貴さんが悩みを抱えている姿をじっと見ているほうが、よっぽど心配なんですよ」

そう言って、琥珀は志貴の顔を覗き込んだ。

「ごめん、琥珀さん。俺は・・・」

「今は何もおっしゃらなくて結構です。ただ、志貴さんが皆のことを思っているように、皆も志貴さんのことを思っているのですから、それを忘れないで下さいね」

「ありがとう」

志貴は、精一杯の想いを込めて、琥珀に笑顔を向けた。

その笑顔を真正面から受け止めた琥珀は、思わず赤くなって俯いてしまった。

「どうしたの?琥珀さん」

「え〜あ〜、ほら、あれですよ、慣れない真面目な事言っちゃいましたから」

流石に琥珀と言えども、正直に『志貴さんの笑顔に見とれた』と言う事は出来なかった。





〜 〜 〜 〜 〜






「本当に大丈夫なんですか?」

「ええ、琥珀さんの朝食のおかげだよ」

「ですが・・・」

今日は休むのかと思いきや、志貴は普通に学校へ行こうとしていた。

心配げに声をかける琥珀。

その横に控えている翡翠も、不安なまなざしを浮かべている。

その目を見たとたん、志貴にはじわじわと罪悪感が浮かんできた。

(あの目に弱いんだよなあ・・・)

しかし、それを振り払うかのように、翡翠の手からカバンを取った。

「あっ・・・」

「大丈夫、秋葉にバレない内に帰るから!」

そう言い残すと、志貴は足早に学校へ向かった。




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