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ココロに響く薬



ここであげていくのは、印象に残ったいろいろな人たちの言葉です。 「言葉は無力だ」と感じていた時期もありましたが、 ここ数年で「言葉はものすごい力を持っている」とも思うようになりました。 まあ、良くも悪くも、ですが。

ここでは、良いほうにココロが向けるような 言葉を紹介していくつもりではありますけど、 私の視点、独断と偏見が入って選んでいますから そこのところはご了承ください。 スポーツ関連など状況はいろいろですが、そのジャンルのみならず 一般的にも言える、使えることが多いと思うので、そのように 捉えてみてください。

みなさんのココロに響く言葉が、ココロの支えや考え方のヒントになるものが この中にひとつでもありますように。



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あせらず、あわてず、あきらめず
私は過去にも未来にも生きていない・・
こいつらは解放されている・・
積極的その日暮らし
学ぶ方法はひとつしかない・・
今はただ生きるのみだと思っている・・
子供の頃は(中略)自分の進む道が・・
不安は生命の母だと・・
人間て、どれだけ自分で・・
知るということは根本的には・・
障害を持っていても・・
他愛のない言葉が・・
あの作曲家の人生は悲劇的・・
ルーシーがスヌーピーに・・
古の歴史家たちは・・
僕は人一倍努力・・
お互い最後まで・・<NEW!>



あせらず、あわてず、あきらめず

アテネオリンピック水泳競技にて金メダルを獲得した柴田亜衣選手のコーチの言葉です。 シンプルだけど、とっても大切な要素が凝縮されています。



私は過去にも未来にも生きていない。 今だけにしか興味を持っていません。そしていつか今朝のこともただの思い出となる。 しかし大切なのは今という時間。過去の教訓と未来の夢を共に今に生きたい。 現在現れている前兆をもとに見る。秘密は現在に、ここにある。 もしおまえが現在によく注意していれば、おまえは現在をもっと良くすることが できる。そして、おまえが現在を良くしさえすれば将来起こってくることも良くなるのだ。 (中略)毎日の中に永遠があるのだ。

シンプルの次は、いきなり長くなりました(^^;) パウロ・コエーリョさんの書かれた「アルケミスト」(角川文庫)からです。 彼の作品はまだこれしか読んだことがないのですが、他のも読んでみたいです。



こいつらは解放されている。理性から。 世間からも常識からもーー。 ずっと自由に生きている。人間という動物らしくーー。

奥田英朗さんの書かれた「イン・ザ・プール」(文芸春秋)からのものです。 私たちは、いつから人と話をするときにいったん頭の中で考えて、言葉を選んだり 判断をするようになったのでしょう。ある意味で、こういうことを覚え始めるのが 大人になるということなのかもしれませんが、精神的な病は生じるのでしょうね。 自分は何歳頃まで何にも考えずに、思ったことをそのままストレートに言えたんだっけ? 行動できたんだっけ?



積極的その日暮らし

たまたまテレビをつけたときかなんかに、介護の話の中で落合恵子さんが 言っていた言葉です。こういう気持ちの持ち方もよいのではないでしょうか。



学ぶ方法は一つしかない。 それは行動を通してだ。

上記と同じく「アルケミスト」からです。基本、とは思いつつ ちょっと気を抜くと弱気になったり臆病になったりして忘れがちです。



今はただ生きるのみだと思っている。(中略) 人生は人のことをどうこういうよりも自分のできることを苦しく楽しく 一生けんめいやり、泣き、笑い、他者に貢献し、周囲の人々を愛し、毎日を 生きていくうちにあっという間に終わってしまう。 それでいいような気がする。

吉本ばななさんの「ばななブレイク」(幻冬舎文庫)からです。 丁寧に、しっかりと毎日を暮らしていく、生きていく。



子供の頃は、(中略)自分の進む道が いつも不安なのだ。この道でいいんだろうか、この道は間違っていないかって、いろんなものを見て、 考えるから一秒一秒を長く感じる。大人は帰り道みたいなもので、そういう不安がないから、 何も考えていない時間が長いから、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。(中略)だから、 帰り道は、違う道で帰らなければいけないと思う。旅行でも、人生でも。

松本人志さん、島田紳助さんの「哲学」(幻冬舎文庫)からです。 常にいろいろなことに好奇心を持ち続ける人は、何歳になっても 子供の感覚「なんだろう?」「どうしてだろう?」という気持ちを 持ち続けられるような気がします。 自分は、老齢の昆虫学者やピカソなんかにそういう感覚を(勝手に)見ます。



不安は生命の母だと感じる。 それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいというものではない。 不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、不安を友として生きていく。 不安を追い出すことはできない。不安は決してなくならない。  しかし、不安を敵とみなすか、それをあるがままに友として受け入れるかには、 大きなちがいがあるはずです。(中略)不安というものは、漠然としたものです。 将来が不安という。そういう人は、とりあえずいま何とか安定した暮らしが成りたっている人でしょう。 今夜どこに寝るか、はたして夕食にありつけるのか。そうした目の前の困難と闘って生きている限り、 不安は問題ではありません。  不安は、まず人間らしく生きようと思うこころの余裕から生まれてくる質の高い感覚だと思うのです。  不安を抱くことは、人間らしく生きていることだ。

長くなってしまいました(いつものことか^^;)。 五木寛之さんの「不安の力」(集英社文庫)からです。 不安も受け入れると、少しはホッとして今晩眠れるかもしれません。



人間て、どれだけ自分で感動したシーンを いっぱい持てるか、みたいなので人生が全然違ってくる。

石川三千花さんの「いきなりハッピー」からです。 確かに、ぐわーっと心をつかまれたり、揺さぶられるような感動をたくさんすると その人の中でいろいろな変化がどんどん出てきたり、充実具合が違ってくると思います。

あとそれとは別ですが、どこかで「寝たきりになったときにたくさんの良い思い出を持っていると それをずっと思い出しながら時間をすごせる」というような話を聞いたことがあります。なるほどー。



知るということは根本的にはガンの告知である。(中略) ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だと言われることがある。 そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう。(中略) その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか 考えてみろ。多分思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。 それは自分が変わったということに過ぎない。知るということはそういうことなのです。 知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。 見え方が変わってしまう。それが昨日までとほとんど同じ世界でも。 (中略)ガンの告知で桜が違って見えるということは、自分が違う人になってしまった、 ということです。去年まで自分が桜をどう思っていたか思い出せない。 つまり死んで生まれ変わっている。そういうことを常に繰り返していれば、ある朝、もう一度、 自分がガラッと変わって、世界が違って見えて、夕方に突然死んだとしても、何を今さら驚くことがあるか。 絶えず過去の自分というのは消されて、新しいものが生まれてきている。そもそも人間は変わりつづけているわけですが、 何かを知って生まれ変わり続けている、そういう経験を何度もした人間にとっては、死ぬということは 特別な意味を持つものではない。現に、過去の自分は死んでいるのだから。そういう意味だと思うのです。

ふー。思わず長くなってしまいました(^^;)養老孟司さんの「バカの壁」(新潮新書)からです。 楽しんで読んだ本です。



「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ」。健常者として生まれても、 ふさぎこんだ暗い人生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足もないのに、毎日、 ノー天気に生きている人間もいる。関係ないのだ、障害なんて。 (中略) 「障害は不便である。しかし、不幸ではない」 ヘレン・ケラー

乙武洋匡さんの「五体不満足」完全版(講談社文庫)からです。 もともと彼の持つ性格というのもあるのでしょうが、 のほほんとしながらも真摯な姿勢はみていて気持ち良いです。



他愛のない言葉が、どれだけ人を喜ばせるのか、どれだけ人を傷つけるのか。 一方は仲間や大瀧先生から、一方はマスコミ、世間、あるいは加茂監督更迭の際の言葉。 人を喜ばせる言葉と、傷つける言葉。わずか三ヶ月の間に、僕はその両方を知った。 戦っていないとテレビで言われたり、卵を投げられたり、様々な重圧の中で自分を見失った時、 助けてくれたのがチームメイトであり、家族であり、高校時代の恩師であった。そういった 人たちがいてくれて、そしていいタイミングで言葉をかけてくれたり、楽しい会を開いてくれたことで、 僕は僕を取り戻せた。

名波浩選手(サッカー、ジュビロ磐田)の「NANAMI 終わりなき旅」(幻冬社)からです。 彼のプレーや言葉に魅力を感じます。苦しみと喜びの1998年ワールドカップ予選、本大会、 2000年のアジアカップやイタリアでのプレーなど、リアルタイムでみることが できなかったのが悔やまれます。




チャーリー・ブラウン「あの作曲家の人生は、悲劇的だったんだね?」
サリー・ブラウン「でもロマンチックだわ」
チャーリー・ブラウン「ロマンチック?」
サリー・ブラウン「悲劇的な人生はロマンチックなのよ、 それが他人の人生ならね・・」

チャールズ・M・シュルツさんの「SNOOPYのもっと気楽に@」(講談社+α文庫)より、 谷川俊太郎さん訳、河合隼雄さんの解説です。 SNOOPYはキャラクターもかわいいのですが、漫画の内容が好きですね。 それぞれのキャラクター、台詞などひとつひとつが面白いと思います。



ルーシーがスヌーピーに「人生を無駄にしている」といかにも 心理学者の言いそうなことを言っている。人生の(犬生と言わぬところがいい) 大半を屋根の上でゴロ寝をして暮らしているのは、どうしたことか。 これに対してスヌーピーは、「犬であることは、フルタイムの仕事」と明言する。 凄い言葉だ。私のところに相談に来られる人は、仕事がしたくてもなかなかできない、 何かすると必ず失敗する、というような方がおられる。私はそんな方に、 「生きているだけでいいのです」、「生きていることは大事業です」と言ったことがある。 人間が人間やってるのはフルタイムの大仕事だ。それ以上に何かしなくてはならないなどと 思わず、「もっと気楽に」いきましょう。

チャールズ・M・シュルツさんの「SNOOPYのもっと気楽に@」(講談社+α文庫) (谷川俊太郎さん訳)から、臨床心理学者の河合隼雄さんの解説の中のものです。 人間やっているだけでフルタイムの大仕事、なるほど。



古の歴史家たちは、次のように言っている。 人間というものは、恵まれていなければ悩み、 恵まれていればいたで退屈する。 この性向からは、同じ結果が生ずるのだ、と。

塩野七生さんの「マキアヴェッリ語録」(新潮文庫)より。 中世イタリアの思想家であるマキアヴェッリの言葉を 塩野さんが抜粋してまとめたものからのものです。 「人は、自らの実現能力をはるかに上まわることを望むものだから、 常に不満が耐えないのである」(塩野七生さんの解説、補助文より)



僕は人一倍努力もした。才能を鼻にかけてトレーニングを休んだり、 練習もせずに正確なボールを蹴れるようになったわけではない。 もし自分に特別な才能がなかったとしても、努力を重ねて一流のサッカー選手に なる自信はあったと思う。

D・ストイコビッチ(通称ピクシー)、サッカー選手の 「セブン・イヤーズ・イン・ジャパン」(祥伝社黄金文庫)からです。 彼のプレーや熱さが好きでした。才能に恵まれてすばらしいプレーを 魅せてくれるのですが、努力も重ねているだろうことは自然と伝わってきました。 努力ができることも才能のひとつ、情熱の大きさも才能のひとつ。



<NEW!> 「お互いさいごまで、のたうち回ろう。 僕も後ろから、のたうち回る。息を引き取るまで」(佐藤)
「長いこと、僕の中にいてくれてありがとう」(舟越)


齋藤孝さんの「スラムダンクな友情論」(文春文庫)からです。 バスケットをめぐる名作漫画「スラムダンク」(自分も大好きです)の 登場人物の関係を中心として、「クリエイティブな関係」などについて いろいろ書かれています。 ここで取り上げた言葉は、 彫刻家佐藤忠良と舟越保武の、 互いに緊張感のあるよいライバル関係にあって 相手に対して言った言葉です。 それぞれの性格、考え方が 出ていて良いと思います。 「僕の中にいてくれて」という表現、なるほどー。



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