夏のカレンダーが半分以上過ぎた8月の初旬。ようやく真夏が遅れてやって来た。水の中のようにジメっとした不快な梅雨のような日々はようやく終わり、暑い陽射しが肌を焦がす季節になった。こうなるとますます行くところが無くなってしまう。早めに到着したシギチを探して田んぼを巡るか、高見へ登らないと野鳥にはなかなか出会えない。そうは判っていても近所で何とかならかいと右往左往し、川の側などに出掛けてみるが、大抵は何も成果を得ず家のドアを開けることになる。
夕方になり少し陽射しも和らぎ涼しくなったので、暇なときによく行く、二つの川の合流点より上流にある小さな耕作地に車を走らせた。セッカぐらいに会えるだろうと考えてのことだった。ところが耕作地にはセッカは愚かスズメさえも見当たらない。これはダメだと引き上げようとしたとき、反対側の畑に差してある、竹の棒の上に鳥の姿を見つけた。
何の鳥だろうと双眼鏡を引き寄せ覗くと、嘴の両側が黄色ツバメの巣立ち雛だった。辺りを見回すとほかの竹の棒にも雛が乗っている。雛は、時々羽をバタつかせ、大きく口を開けて、激しくアピールする。それは、忘れた頃になると餌を届けにやって来る親鳥に対してだった。親鳥は、どういう基準なのかは判らないが、順番に雛の所でホバーリングしながら餌を口移しで与えている。口移しと言うか、雛の口のなかに頭を突っ込んだと言ったほうがピッタリの様子だ。
こんな場面を見ればきっと誰もがやってみようと思うだろう。親鳥が雛に餌を与える瞬間を撮ろうと。私も同じだ、一番高い竹棒の上の雛にレンズを向けピントを合わせた。普段なら人工物の上だとか言って撮らないのだが、最近シャッターは押していない、だから「人の生活に近いツバメだからこういうシチュエーションもあり」などと理屈をつけてだ。
親鳥が雛のところにやってくる度に、シャッターを押してみた。しかしこれがなかなか難しい。ツバメのポーズはさておき、夕方の太陽は傾き、そしていつの間にか現れた雲のせいで光は弱く、シャッタースピードが上がらないのだ。撮影したコマは殆んどぶれていて、鳥の姿を止めない。偶然、面白くぶれてくれればと思い、続けてみたが、それは難しかった。
一週間後、もう一度彼らに会いに、小さな耕作地に行ってみた。しかし、もうそこにはその姿はなかった。その代わり近くの川面で沢山の飛びかうツバメが見られた。飛んでいるのは、餌をねだっていた、あのツバメの子なのだろうか。
長い旅の果てに、南の国にたどり着いた彼らが無事に冬を過ごし、来年の春にまた可愛い姿を見せてくれることを願う。そして、もしも、私の住まいの軒先に巣をこしらえてくれたら。そんなことが起きたらとても幸せななのだけれど。(平成21年8月記)
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