砂漠にあるオアシスのように、広い耕作地帯に点在する休耕田。その数は毎年少なくなっているように感じる。減反政策の変化が原因なのだろうか、いずれにしろ渡りの途中に、この休耕田に立ち寄るシギチにとって、本当に貴重なものになってきているのだろう。
とは言っても、その休耕田で見られるシギチが、数少ない休耕田に集中し、多くの種類が見られるということはなく、かえってその数は減少するばかり。残念ながら撮影を思う存分、楽しむまでに至らない。
シギチの渡りのピークは、これからかもしれないが、休耕田巡りの結果は今年も余り良くないなぁという感想が正直なところだ。
それでも何処かに、水を湛え、シギチが沢山いる田んぼが有りはしないかと、田園地帯を右往左往してみるが、そんな田んぼは見つからない。夢幻のようだ。
もうすぐ刈り取られる稲穂の絨毯の上では、例の如く元気なセッカが空を駆け回っている。そのセッカが、水の無い三角の小さな田んぼに生える草の上に、空から勢い良く降りてきた。すかさず、車を止めてレンズをセッカに向け写し撮る。何コマかシャッターを切ると、セッカは再び空に上がり元気に駆け回り始めた。すると入れ変わるように、可愛い囀りが聞えてきた。少し先の芦原で良く見られるコジュリンが隣の田んぼの稲穂の上にちょこんと乗り歌を唄っている。さて、今度はコジュリンを撮影する番だ。
シギチの撮影はさっぱりだったが、久しぶりにコジュリンを撮ることができた。それに、私はこんなふうに水田でコジュリンが囀る姿を初めて見た。その囀りは、足元の実りのことを「今年のお米は豊作だよ、美味しいよ〜」って言っているような気がした。まだまだ暑い日が続くが、秋は少しづつ、確実に近づいているそう思える撮影になった。(平成22年9月記)
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